庄司義左衛門
近藤梶五郎
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義左衛門は平八郎外三人を見失ひ、独り天王寺村へ逃げ、夜明け
てから手拭に面体を包み、平野郷辺より国分峠を越え、大和より
伊勢路へ掛つた、併し頼るべき知辺もなく、又同志にも出会はな
い、一先づ大阪へ立帰つて様子を見やうと、奈良まで引還して来
た所を奈良奉行の手に召捕られ、三月五日大阪にて揚屋入となつ
た、又近藤梶五郎が自分の屋敷の焼跡で自殺して居るのが発見し
たは三月九日で、彼は夫迄何処に忍んで居つたか一向不明である、
検屍書に咽喉の疵は左耳下より右耳下へかけ横六寸程また臍下に
切疵二ケ所とあれば、切腹の上立派に咽喉のを刎ねたものだ。
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義左衛門は平八郎外三人を見失ひ、独り天王寺村へ逃げ、夜明
けてから手拭に面体を包み、平野郷辺より国分峠を越え、大和か
ら伊勢路へ掛つた。併し頼るべき知辺もなく、又同志にも出会は
ない、一先づ大阪へ立帰つて様子を見ようと、奈良まで引還して
来た所を奈良奉行の手に召捕られ、三月五日大阪にて揚屋入とな
つた。それから三月九日になつて近藤梶五郎が自分の屋敷の焼跡
で自殺して居るのが発見せられた。彼は夫迄何処に忍んで居つた
か一向不明である。検屍書に咽喉の疵は左耳下より右耳下へかけ
横六寸程また臍下に切疵二ケ所とあれば、切腹の上立派に咽喉の
を刎ねたものだ。
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