Я[大塩の乱 資料館]Я
2007.1.4

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その152

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第三章 乱魁
  八 末路 (4)
 改 訂 版


庄司義左衛門





近藤梶五郎

義左衛門は平八郎外三人を見失ひ、独り天王寺村へ逃げ、夜明け てから手拭に面体を包み、平野郷辺より国分峠を越え、大和より 伊勢路へ掛つた、併し頼るべき知辺もなく、又同志にも出会はな い、一先づ大阪へ立帰つて様子を見やうと、奈良まで引還して来 た所を奈良奉行の手に召捕られ、三月五日大阪にて揚屋入となつ た、又近藤梶五郎が自分の屋敷の焼跡で自殺して居るのが発見し たは三月九日で、彼は夫迄何処に忍んで居つたか一向不明である、 検屍書に咽喉の疵は左耳下より右耳下へかけ横六寸程また臍下に 切疵二ケ所とあれば、切腹の上立派に咽喉のを刎ねたものだ。

 義左衛門は平八郎外三人を見失ひ、独り天王寺村へ逃げ、夜明 けてから手拭に面体を包み、平野郷辺より国分峠を越え、大和か ら伊勢路へ掛つた。併し頼るべき知辺もなく、又同志にも出会は ない、一先づ大阪へ立帰つて様子を見ようと、奈良まで引還して 来た所を奈良奉行の手に召捕られ、三月五日大阪にて揚屋入とな つた。それから三月九日になつて近藤梶五郎が自分の屋敷の焼跡 で自殺して居るのが発見せられた。彼は夫迄何処に忍んで居つた か一向不明である。検屍書に咽喉の疵は左耳下より右耳下へかけ 横六寸程また臍下に切疵二ケ所とあれば、切腹の上立派に咽喉の を刎ねたものだ。


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