Я[大塩の乱 資料館]Я
2007.1.8

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その154

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第三章 乱魁
  八 末路 (6)
 改 訂 版


茨田郡次







高橋九右衛門
柏岡源右衛門

茨田郡次は夜五ッ時頃門真三番村の我家へ婦つて見ると、瀬田済 之助の妻りやうが養父藤四郎・娘やす・乳母下女一同を連れて来 てゐるのみか、藤四郎は剃髪して姿を変へてゐる、郡次は女房の ぶと相談し、家内一同にて親類星田村庄九郎方へ赴き、此所にて 藤四郎の為に駕籠を雇ひ、済之助一族を和州路へ向け落しやり、 自分は女房と共に帰宅し、改めて領主役場へ自首した。高橋九右 衛門と柏岡源右衛門とは天満橋北詰に上陸し、両人相談の上、高 野山真福院を頼ることとし、廿日夜五ッ時頃同院に到着した、住 持歓応は両人とも檀中であるので、何心なく宿泊せしめ、廿二日 に至り大阪大変の始末一山に知れ渡りしも、両人を大塩残党とは 心付かず、翌朝源右衛門より余儀なき理由あつて奉納すべき祠堂 金を途中に遣込みたれば、勝手ながら帰村の旅費を借用いたした く、帰郷の上は早速御返却申すべしと頼まれ、金三分づゝを渡し た、九右衛門源右衛門は所詮罪科遁れ難しと覚悟し、以上の金子 を路用として山を下り、廿五日平野郷に着き、此所にて袂を分ち、 銘々支配役場へ自首した。

 茨田郡次は夜五ッ時頃門真三番村の我家へ婦つて見ると、瀬田 済之助の妻りやうが父藤四郎・娘やす・乳母下女一同を連てゐる のみか、藤四郎は剃髪して姿を変へてゐる。郡次は女房のぶと相 談し、家内一同にて親類星田村庄九郎方へ赴き、同所にて藤四郎 の為に駕籠を雇ひ、済之助一族を和州路へ向け落しやり、自分は 女房と共に帰宅し、改めて領主役場へ自首した。  高橋九右衛門と柏岡源右衛門とは天満橋北詰に上陸し、両人相 談の上、高野山真福院を頼ることとし、二十日夜五ッ時頃同院に 到着した所、住持歓応は両人とも檀中であるので、何心なく宿泊 せしめた。廿二日に至り大阪大変の始末一山に知れ渡つたが、歓 応は両人を大塩残党とは心付かず、翌朝源右衛門より余儀なき理 由あつて奉納すべき祠堂金を途中にて遣込みたれば、勝手ながら 帰村の旅費を借用いたしたく、帰郷の上は早速御返却申すべしと 頼まれ、金三分づゝを渡した。九右衛門源右衛門は所詮罪科遁れ 難しと覚悟し、以上の金子を路用としとして山を下り、廿五日平 野郷に着き、此処にて袂を分ち、銘々支配役場へ自首した。


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