茨田郡次
高橋九右衛門
柏岡源右衛門
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茨田郡次は夜五ッ時頃門真三番村の我家へ婦つて見ると、瀬田済
之助の妻りやうが養父藤四郎・娘やす・乳母下女一同を連れて来
てゐるのみか、藤四郎は剃髪して姿を変へてゐる、郡次は女房の
ぶと相談し、家内一同にて親類星田村庄九郎方へ赴き、此所にて
藤四郎の為に駕籠を雇ひ、済之助一族を和州路へ向け落しやり、
自分は女房と共に帰宅し、改めて領主役場へ自首した。高橋九右
衛門と柏岡源右衛門とは天満橋北詰に上陸し、両人相談の上、高
野山真福院を頼ることとし、廿日夜五ッ時頃同院に到着した、住
持歓応は両人とも檀中であるので、何心なく宿泊せしめ、廿二日
に至り大阪大変の始末一山に知れ渡りしも、両人を大塩残党とは
心付かず、翌朝源右衛門より余儀なき理由あつて奉納すべき祠堂
金を途中に遣込みたれば、勝手ながら帰村の旅費を借用いたした
く、帰郷の上は早速御返却申すべしと頼まれ、金三分づゝを渡し
た、九右衛門源右衛門は所詮罪科遁れ難しと覚悟し、以上の金子
を路用として山を下り、廿五日平野郷に着き、此所にて袂を分ち、
銘々支配役場へ自首した。
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茨田郡次は夜五ッ時頃門真三番村の我家へ婦つて見ると、瀬田
済之助の妻りやうが父藤四郎・娘やす・乳母下女一同を連てゐる
のみか、藤四郎は剃髪して姿を変へてゐる。郡次は女房のぶと相
談し、家内一同にて親類星田村庄九郎方へ赴き、同所にて藤四郎
の為に駕籠を雇ひ、済之助一族を和州路へ向け落しやり、自分は
女房と共に帰宅し、改めて領主役場へ自首した。
高橋九右衛門と柏岡源右衛門とは天満橋北詰に上陸し、両人相
談の上、高野山真福院を頼ることとし、二十日夜五ッ時頃同院に
到着した所、住持歓応は両人とも檀中であるので、何心なく宿泊
せしめた。廿二日に至り大阪大変の始末一山に知れ渡つたが、歓
応は両人を大塩残党とは心付かず、翌朝源右衛門より余儀なき理
由あつて奉納すべき祠堂金を途中にて遣込みたれば、勝手ながら
帰村の旅費を借用いたしたく、帰郷の上は早速御返却申すべしと
頼まれ、金三分づゝを渡した。九右衛門源右衛門は所詮罪科遁れ
難しと覚悟し、以上の金子を路用としとして山を下り、廿五日平
野郷に着き、此処にて袂を分ち、銘々支配役場へ自首した。
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