曾我岩蔵
大井正一郎
柏岡伝七
深尾才次郎
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平八郎の若党曾我岩蔵ハ淡路町の混雑に主人父子を見失つたが、
何とかして再び主人に巡逢ひ、死生を共にしたしと、心当は無
けれど大和へ向つて落行く途中、森小路村辺にて大井正一郎に
出会し、両名同道して般若寺村の柏岡伝七方に立寄つたは夜五
ッ時頃であつた、伝七は十八日夜大塩邸に一泊し、翌朝平八郎
より至急に人足を引連来れと命ぜられ、村方に立帰つたが、最
早人足共は天満辺出火と聞いて駈出したる為、村内に居合はさ
ず、森小路村まで往くと、追々帰つて来る人々が大塩方敗亡の
噂をするので案外に思ひ、其儘帰宅して仕舞つたのである、正
一郎岩蔵は伝七方へ来て着込や革草鞋を脱ぎ、之を預つてくれ
ろといひ、怖気ついた伝七が後難を恐れて預らうとせぬに、其
場へ脱捨てまゝ同人方を立出で伝七は已むを得ず着込革草鞋を
居宅脇の灰小屋へ取匿し、其後間もなく召捕となつた、尊延寺
村の次兵衛を訪ひ、弟才次郎在宿の有無を尋ぬると、同人の母
のぶが出て来て、留守だといふ其言葉付は、両人を捕方と思違
へてゐるらしい様子故、才次郎と別懇の次第並に今度の顛末を
話し、侍体にては人目を牽く恐ありと両刀を預け、食事の振舞
を受けて出発した、其節のぶの話には、才次郎ハ加州辺に向け
て立退いたとあつたが、廿一日和州初瀬辺の旅籠屋で、彼等ハ
才次郎及無宿新兵衛に遭遇し、再び行先を議することとなつた
は偶然とはいへ不思議である、
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平八郎の若党曾我岩蔵は淡路町の混雑に主人父子を見失つた
が、何とかして再び主人に遭遇ひ、死生を共にしたしと、別段
心当りは無けれど大和へ向つて落行く途中、森小路村辺にて大
井正一郎に出会し、両名同道して般若寺村の柏岡伝七方に立寄
つたは夜五ッ時頃であつた。伝七は十八日夜大塩邸に一泊し、
翌朝平八郎より至急に人足を引連れ来れと命ぜられ、村方に立
帰つたが、最早人足共は天満辺出火と聞いて駈出した為、村内
に居合はさず、森小路村まで往くと、追々帰つて来る人々が大
塩方敗亡の噂をするので案外に思ひ、その儘帰宅して仕舞つた
のである。正一郎岩蔵は伝七方へ来て着込や革草鞋を脱ぎ、之
を預つてくれろといひ、怖気ついた伝七が後難を恐れて預らう
とせぬに、脱捨てたまゝ同人方を立出で伝七は已むを得ず着込
革草鞋を居宅脇の灰小屋へ取匿し、その後間もなく召捕となつた
尊延寺村の次兵衛を訪ひ、弟才次郎在宿の有無を尋ねると、同
人の母のぶが出て来て、留守だといふが、どうも両人を捕方と
思違へて実際を打明けぬやうに見えるので、才次郎と別懇の次
第並びに今度の顛末を話し、武家体にては人目を惹く恐ありと
両刀を預け、食事の振舞を受けて出発した。その節のぶの話に、
才次郎は加州辺に向けて立退いたとあつたが、廿一日和州初瀬
辺の旅籠屋で、彼等は才次郎及び無宿新兵衛に遭遇し、再び行
先を議することとなつたのは偶然とはいへ不思議である。
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