Я[大塩の乱 資料館]Я
2007.1.16

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その157

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第三章 乱魁
  八 末路 (9)
 改 訂 版


曾我岩蔵
大井正一郎
柏岡伝七



















深尾才次郎

平八郎の若党曾我岩蔵ハ淡路町の混雑に主人父子を見失つたが、 何とかして再び主人に巡逢ひ、死生を共にしたしと、心当は無 けれど大和へ向つて落行く途中、森小路村辺にて大井正一郎に 出会し、両名同道して般若寺村の柏岡伝七方に立寄つたは夜五 ッ時頃であつた、伝七は十八日夜大塩邸に一泊し、翌朝平八郎 より至急に人足を引連来れと命ぜられ、村方に立帰つたが、最 早人足共は天満辺出火と聞いて駈出したる為、村内に居合はさ ず、森小路村まで往くと、追々帰つて来る人々が大塩方敗亡の 噂をするので案外に思ひ、其儘帰宅して仕舞つたのである、正 一郎岩蔵は伝七方へ来て着込や革草鞋を脱ぎ、之を預つてくれ ろといひ、怖気ついた伝七が後難を恐れて預らうとせぬに、其 場へ脱捨てまゝ同人方を立出で伝七は已むを得ず着込革草鞋を 居宅脇の灰小屋へ取匿し、其後間もなく召捕となつた、尊延寺 村の次兵衛を訪ひ、弟才次郎在宿の有無を尋ぬると、同人の母 のぶが出て来て、留守だといふ其言葉付は、両人を捕方と思違 へてゐるらしい様子故、才次郎と別懇の次第並に今度の顛末を 話し、侍体にては人目を牽く恐ありと両刀を預け、食事の振舞 を受けて出発した、其節のぶの話には、才次郎ハ加州辺に向け て立退いたとあつたが、廿一日和州初瀬辺の旅籠屋で、彼等ハ 才次郎及無宿新兵衛に遭遇し、再び行先を議することとなつた は偶然とはいへ不思議である、

 平八郎の若党曾我岩蔵は淡路町の混雑に主人父子を見失つた が、何とかして再び主人に遭遇ひ、死生を共にしたしと、別段 心当りは無けれど大和へ向つて落行く途中、森小路村辺にて大 井正一郎に出会し、両名同道して般若寺村の柏岡伝七方に立寄 つたは夜五ッ時頃であつた。伝七は十八日夜大塩邸に一泊し、 翌朝平八郎より至急に人足を引連れ来れと命ぜられ、村方に立 帰つたが、最早人足共は天満辺出火と聞いて駈出した為、村内 に居合はさず、森小路村まで往くと、追々帰つて来る人々が大 塩方敗亡の噂をするので案外に思ひ、その儘帰宅して仕舞つた のである。正一郎岩蔵は伝七方へ来て着込や革草鞋を脱ぎ、之 を預つてくれろといひ、怖気ついた伝七が後難を恐れて預らう とせぬに、脱捨てたまゝ同人方を立出で伝七は已むを得ず着込 革草鞋を居宅脇の灰小屋へ取匿し、その後間もなく召捕となつた 尊延寺村の次兵衛を訪ひ、弟才次郎在宿の有無を尋ねると、同 人の母のぶが出て来て、留守だといふが、どうも両人を捕方と 思違へて実際を打明けぬやうに見えるので、才次郎と別懇の次 第並びに今度の顛末を話し、武家体にては人目を惹く恐ありと 両刀を預け、食事の振舞を受けて出発した。その節のぶの話に、 才次郎は加州辺に向けて立退いたとあつたが、廿一日和州初瀬 辺の旅籠屋で、彼等は才次郎及び無宿新兵衛に遭遇し、再び行 先を議することとなつたのは偶然とはいへ不思議である。


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