Я[大塩の乱 資料館]Я
2007.2.19

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その164

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第三章 乱魁
  九 賞罰 (2)
 改 訂 版


罸































牢死者多し

次に大塩方の判決を見ると、巨魁大塩平八郎父子・瀬田済之助・ 小泉淵次郎・渡辺良左衛門・庄司義左衛門・近藤梶五郎・大井正 一郎・白井孝右衛門・茨田郡次・高橋九右衛門・橋本忠兵衛・柏 岡源右衛門・同伝七・木村司馬之助・横山文哉・宮脇志摩・深尾 才次郎・西村利三郎以上拾七名は塩詰の死骸三郷引廻の上磔、但 し利三郎は死体腐爛につき墳墓破壊。美吉屋五郎兵衛・杉山三平・ 曾我岩蔵・植松周次・浅佶・松本隣太夫・堀井儀三郎事仁三郎・ 大工作兵衛・猟師金助・無宿新兵衛・忠右衛門は引過の上獄門、 上田孝太郎・白井儀次郎・卯兵衛は死罪、大西与五郎・白井彦右 衛門・平八郎妾ゆう・五郎兵衛女房つねは遠島、安田図書・医師 寛輔・大蓮寺隠居正方は中追放に処せられ、其他多少を問はず本 件に関係のあつた者は大抵皆罪を得た、其刑名には摂河両国構・ 江戸十里四方追放・手鎖・押込・逼塞・急度叱・叱・入墨・科料 等の区別があるが、今是等の下に一々氏名を挙ぐるは煩はしいか ら省いて置かう、また反忠者について言へバ、平山助次郎吉見九 郎右衛門両名は密訴の功により、取来高のまゝ御譜代席小普請入 となり、英太郎八十次郎は各々銀五十枚を賜り、竹上万太郎は反 忠が反忠に立たず、不届至極とあつて引廻の上磔を申渡され、九 月十八日平八郎父子以下主謀者拾六名と同様鳶田に於て処刑を受 けたが、此時まで生存して居つたは万太郎一人で、他は皆塩詰の 死骸を磔に掛けたのである、義左衛門・孝右衛門・郡次・九右衛 門・忠兵衛・源右衛門・伝七・司馬之助・文哉いづれも八年三月 から五月の半頃までに牢中に病死し、最も遅い正一郎も同年八月 十四日に牢死してゐる、此現象は大に注意すべきことで、前述の 美吉屋五郎兵衛以下大蓮寺隠居正方に至るまでの重罪者二十一名 中、三平・孝太郎・与五郎・彦右衛門四人を除き、余は悉く受刑 前に牢死してゐる、此外にも大塩一件で入牢中病死した者の数は 頗る夥しい、大阪府知事渡辺昇氏が明治初年獄舎の衛生に注意し 出した迄は、年内死亡著の率は戦慄すべきものであつたといふ。

 次ぎに大塩方の判決を見ると、巨魁大塩平八郎父子・瀬田済之 助・小泉淵次郎・渡辺良左衛門・庄司義左衛門・近藤梶五郎・大 井正一郎・白井孝右衛門・茨田郡次・高橋九右衛門・橋本忠兵衛・ 柏岡源右衛門・同伝七・木村司馬之助・横山文哉・宮脇志摩・深 尾才次郎・西村利三郎以上拾七名は塩詰の死骸三郷引廻の上磔、 但し利三郎は死体腐爛につき墳墓破壊。美吉屋五郎兵衛・杉山三 平・曾我岩蔵・植松周次・浅佶・松本隣太夫・堀井儀三郎事仁三 郎・大工作兵衛・猟師金助・無宿新兵衛・忠右衛門は引過の上獄 門、上田孝太郎・白井儀次郎・卯兵衛は死罪、大西与五郎・白井 彦右衛門・平八郎妾ゆう・五郎兵衛女房つねは遠島、安田図書・ 医師寛輔・大蓮寺隠居正方は中追放に処せられ、その他多少を問 はず本件に関係のあつた者は大抵皆罪を得た。刑名には摂河両国 構・江戸十里四方追放・手鎖・押込・逼塞・急度叱・叱・入墨・ 科料等の区別があるが、今一々氏名と刑名とを挙げるは煩はしい から省く。また反忠をした平山助次郎吉見九郎右衛門両名は、取 来高のまゝ御譜代席小普請入となり、英太郎八十次郎は各々銀五 十枚を賜はり、竹上万太郎は反忠が反忠に立たず、不届至極とあ つて引廻の上磔を申渡され、九月十八日平八郎父子以下主謀者拾 六名と同様鳶田に於て処刑を受けたが、この時まで生存して居つ たは万太郎一人で、他は皆塩詰の死骸を磔に掛けたのである。重 立つた徒党の中召捕になつた義左衛門・孝右衛門・郡次・九右衛 門・忠兵衛・源右衛門・伝七・司馬之助・文哉は八年三月から五 月の半頃までに牢中に病死し、最も遅い正一郎も同年八月十四日 に牢死し、また彼等に次いで罪科の重かつた美吉屋五郎兵衛以下 大蓮寺隠居正方に至る二十一名中、三平・孝太郎・与五郎・彦右 衛門四人を除き、余は悉く受刑前に牢死してゐる。此の外にも大 塩一件で入牢中病死した者の数は頗る夥しい。大阪府知事渡辺昇 氏が明治初年獄舎の衛生に注意し出した迄は、年内死亡著の率は 戦慄すべきものであつたといふ。


『浪華姦賊罪案』その23


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