不倫一件の
弁
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平八郎の妾ゆうは橋本忠兵衛の義妹として大塩邸へ来た者である、
若し平八郎が此上更に忠兵衛の娘みねを妾としたを事実とせば、
忠兵衛が黙言つて居る筈は無い、忠兵衛は文化八年以来平八郎の
門に出入し、居村では庄屋を勤めて居る、相応に読書力を備ヘ、
且つ事理に明かつた人たるは疑を容れない、評定所の吟味書に、
天保七年十二月平八郎忠兵衛を呼び、御息女みねは格之助に娶す
べき約束であつたが、格之助には叔父宮脇志摩の娘いくを迎へる
積り、其上みねは一昨年以来拙者の妾として此度男子出生に及ん
だと告げた処、忠兵衛は「彼是挨拶にも不及、其儘にいたし置く」
とあるが、夫程腑甲斐ない人とは思へぬ、若し「言行不似合之儀
俗人にも劣り候振舞」と真実忠兵衛が思つたなら、身命を抛つて
暴動に与することはあるまじき事だ、更に格之助の立場から見れ
ば、将来我妻となるべき婦人を養父に奪はれ、而も平然として厚
く養父に仕へることが出来るであらうか、大塩父子が最後に至る
まで離れなかつたは、平八郎も実に我子なりと慈愛して頼に思へ
ばこそ格之助を離さず、格之助も実に我親なりと恩愛の情あれば
こそ付添つたので、肉親の父子も及ばぬ情合と言はねばならぬ、
若し不倫一件が事実とせば、格之助の内心に挟む所がなくては済
むまい、無体無義の事を父子の間に心に挟んで居るとすれば、か
く父子の情の厚い仔細はあるまじき事である、一体格之助は通例
の人物と見えるが、養父に仕へては極て恭敬で、当番の出掛又は
帰宅の砌は、次の間の敷居の外より慇懃丁寧に出入を告げる、養
父へ来客がある時は敷居の外から挨拶し、客が此方へと言つても
入らない、平八郎がさらば入つて御挨拶を申せといふまでは決し
て入らない、尤も養父より前へ出て挨拶する時には、直に来客の
対座へ出るが、若し初対面の同道人でもあつて、客の方から何の
某と名乗つて挨拶する時は、一々格之助の方からも何の某様かと
姓名を復称して挨拶し、其上平八郎の所へ参つて、何の某が何の
某を同道されたりと、一々姓名を告げて通すといふ風である、坂
本鉉之助は之を見て痛く感服し、如何様聖教の体といふものは大
切である、我々一家親子兄弟の中では我人とも恩愛が前に立つて
敬体は等閑になり易い。別して養子といへば素は他人で、唯義を
以て親と為り子と為るもの故、天性の肉親通には如何しても為ら
ぬ、それを世間では唯恩愛のみを以て天性肉親の父子の如くに親
しまんとするからして、今日は一事違ひ、明日は二事背けて、遂
には恩愛の心も簿くなり、破縁にもなるのである、大塩父子の如
くあらば、養子なればとて親の慈愛も日々に厚かるべく、子の孝
敬も月々に深かるべし、これ全く礼義の為す所なりと言つて居る、
されば平八郎がみねに通じて、弓太郎を挙げたといふことは、全
然九郎右衛門の虚構で、詮ずる所は「犬の逃吠」であらう、予は
みねを以て格之助の妾とし、弓太郎を以て格之助の子とするに躊
躇せぬものである。
大塩平八郎 終
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平八郎の妾ゆうは橋本忠兵衛の義妹として大塩邸へ来た者であ
る。若し平八郎が更に忠兵衛の娘みねを妾としたを事実とせば、
忠兵衛が黙言つて居る筈は無い。忠兵衛は文化八年以来平八郎の
門に出入し、居村では庄屋を勤めて居る位故、相応に読書力を備
ヘ、且つ事理に明るかつた人たるは疑を容れない。評定所の吟味
書に、天保七年十二月平八郎忠兵衛を呼び、御息女みねは格之助
に娶はすべき約束であつたが、格之助には叔父宮脇志摩の娘いく
を迎へる積り、その上みねは一昨年以来拙者の妾として此度男子
出生に及んだと告げた処、忠兵衛は「彼是挨拶にも不及其儘にい
たし置く」とあるが、夫程腑甲斐ない人とは思へぬ。若し「言行
不似合の儀俗人にも劣り候振舞」と真実忠兵衛が思つたなら、身
命を抛つて徒党に加はることはあるまじき筈だ。更に格之助の立
場から見れば、将来我が妻となるべき婦人を養父に奪はれ、而も
平然として厚く養父に仕へることが出来るであらうか。大塩父子
が最後に至るまで離れなかつたは、平八郎も実に我が子なりと慈
愛して頼に思へばこそ格之助を離さず、格之助も実に我が親なり
と恩愛の情あればこそ附添つたので、肉親の父子も及ばぬ情合と
言はねばならぬ。若し不倫一件が事実とすれば、格之助の内心に
挟む所がなくては済むまい。無体無義の事を父子の間に心に挟ん
で居るとすれば、かく父子の情の厚い仔細はあるまじき事である。
一体格之助は通例の人物と見えるが、養父に仕へては極めて恭敬
で、当番の出掛又は帰宅の砌は、次の間の敷居の外より慇懃丁寧
に出入を告げる。養父へ来客がある時は敷居の外から挨拶し、客
が此方へと言つても入らない。平八郎がさらば入つて御挨拶を申
せといふまでは決して入らない。尤も養父より前へ出て挨拶する
時には、直ちに来客の対座へ出るが、若し初対面の同道人てあつ
て、客の方から何の某と名乗つて挨拶する時は、一々格之助の方
からも何の某様かと姓名を復称して挨拶し、それから平八郎の所
へ往つて、何の某が何の某を同道されたりと、一々姓名を告げて
通すといふ風である。坂本鉉之助は之を見て痛く感服し、如何様
聖教の体といふものは大切である。我々一家親子兄弟の中では、
我人とも恩愛が前に立つて敬体は等閑になり易い。別して養子と
いへば素は他人で、唯義を以て親と為り子と為るもの故、天性の
肉親通りには何うしても為らぬ。それを世間では唯恩愛のみを以
て天性肉親の父子の如くに親しまんとするからして、今日は一事
違ひ、明日は二事背いて、遂には恩愛の心が簿くなり、破縁にも
なるのである。大塩父子の如あらば、養子なればとて親の慈愛も
日々に厚かるべく、子の孝敬も月々に深かるべし、これ全く礼義
のなす所なりと言つて居る。されば平八郎がみねに通じ、弓太郎
を挙げたといふことは、全然九郎衛門の虚構で、詮ずる所は「犬
の逃吠」であらう。予はみねを以て格之助の妾とし、弓太郎を以
て格之助の子とするに躊躇せぬものである。
(昭和十六年八月末日再訂)
改訂大塩平八郎 終
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