『旧幕府 第2巻第10号』(冨山房雑誌部) 1898.10 より
かく人倫の猥濫なる罪も有之趣、罪状に書き出されしか、是は徒党の中より訴人に出たる者の申口にて、何かな師匠平八郎の事を悪敷申為さんと申たることにて、必竟は犬の迯吠と申ものなるへし。
此一条は、平八郎 学文の弟子共の中に、貞が存したるもの両三人も、更に左様の事はあるましくと申ものあり。
貞が心中にも、是はー向に合点参らす。罪状に、何故、ケ様の事迄書載られし事か。
大坂市中の者抔、平八郎の事を難有かるもの多き故、其人気をくしく為か。
必竟、此度の罪科は、反逆にて、ケ様の事は、仮令実にもせよ、其身一分の科にて、此度の罪科にて申さは、枝葉の事なり。
書載られすとも然るへくや。
況や、其事実もあらすは、猶更なり。
貞か合点の参らぬと申子細は、格之介といふは、同組西田某か家より大塩へ養子になりし人にて、通例の人物なり。
然る処、貞 大塩へ参り、平八郎へ対面致し候節、格之介当番の出掛、又は帰宅の砌は、平八郎へ必す出入を告ることなり。
其様子を見るに、如何にも養父の前にて慇懃丁寧の様子、信実 養父を敬礼の体にて、次の間 敷居の外より謹て出入を告け、扨 貞抔へ挨拶を致す。
迚も平八郎の居る時は、必 敷居の外より挨拶ありて、如何様に此方より御這入候へと申ても這入らす。
平八郎 一言 さらは這入りて御挨拶申せ と云ぬ中は、決て這入らぬ。
其恭敬の容体、実に感心のことなり。
或は又、平八郎より先へ、貞等か前へ出て挨拶するときは、直に対座へ出て挨拶なり。
若し 初ての同道人抔ありて、此方より姓名を何の某と名のりて挨拶の時は、逸々あの方よりも其通、何の某様かと、又姓名を復称して挨拶し、其上平八郎所へ参り、何の某何の某同道ありと、一人も不残 其姓名を告て通するなり。
其体を見て、貞が始て覚悟いたしたるは、如何様、聖教の礼といふものは、大切なるものにて、我々一家の中、親子兄弟の中にては、我人ともに恩愛の方優りて、敬礼の方は等閑になり易きことなり。
別て、養子といふは素他人にして、唯義を以 親となり子となるものなれは、天性の肉親通りには如何様のことにてもならぬ筈なり。
夫を世間にて弁へすして、親子となるからは、天性肉親の父子の如くに唯恩愛のみにて親しまんと思ふより、今日は一事違ひ、あすは二事背けて、遂には親子の間、恩愛の心も日々に薄くなり、殊によれは、破縁にもなるものなり。
此大塩父子の如くあらば、如何に養子なれはとて、親の慈愛も日々に厚かるへく、子の孝敬も月々に深かるへく、是全く札義の能為す所なりと、其時 甚 感服せし事なり。
扨 騒動の時、外に一味の人々とは大和路辺にて悉く分散して、平八郎 格之助両人ひそかに立戻りて、油掛町に潜み居、既にあらはれて捕人のかゝりし時も、格之助の自殺を平八郎手伝、其上畳二畳格之助の死骸の上へ建掛て火を付、平八郎 其後自殺のよしなり。
平八郎も、実に我子なりと慈愛して頼に思へばこそ、此所迄も格之助を離さず。
格之助は、実に我親なりと恩愛の情あればこそ、此所までも離れず付添たり。
此父子の情に於ては、貞か数年以前に感服せし処に少しも差はす。
果して親子の情は厚かりし。
肉親の父子も及かたき情合なり。
是を以 察するに、格之助の妻に平八郎か密通して、弓太郎を産せたるを、世間へは矢張格之助の子と称し置たる抔は決して無きことにて、若 左様のことあらんには、格之助の内心になとて挟まてあるへき。
かゝる無礼無義の事を、父子の間に心に挟みたらは、なとて、かく父子の情の厚かるへき子細は更に無き事なり。
唯 格之助に憾む所は、平八郎の隠謀を諌争止ぬ所の一ツなれとも、これは格之助の学力にては、中々及はぬことにてあるへく。