Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.2.21

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その25

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第一章 与力
  二 三大功績 上 (14)
 改 訂 版

弓削新右衛
門

西組与力弓削新右衛門は文化十年の役人録に地方役とあるから には与力中の故老で、之と相通じて悪事を働いた四ケ所は天満 の作兵衛、鳶田の久右衛門、千日の吉五郎、それに新右衛門の 妾の親なる新町の妓楼八百新も加はつてゐる、悪事の遂一は今 明白では無いが、要するに権威を恃んで賄賂を誅求したに相違 なく、一件落着後贓金三千両を取上げて貧民に施したといへば、 大抵驕暴の度も推測し得らるゝに、町奉行乃至同僚等はそれと 知りつゝ手を下すことが出来なかつたらしい、山陽が大塩子起 の尾張に適くを送る序附録(七)に、町奉行の姑息と与力の跋扈                    ヘダ とを述べて、「尹心之を知る、而も主客勢懸てゝ苟傍観し、 吏良ありと雖も、衆寡敵せずして浮沈容を取る而已」とあるの は能く事情を悉してゐる、新右衛門は高井山城守の組下では無 いが、山城守は見るに見兼ねて糺察方を平八郎に托した、「子               ハカ 起の始め密命を受くるや、自ら度るに事済らば国を補ひ、済ら ずんば家を破らん、家に一妾あり之を出して累無からしめ、然 して後籌を運し策を決し、親信を指顧し、発摘意外に出で、其 封豕長蛇たる者を斃し、首を駢べて戮に就き、内外股栗す」と、 同じく山陽の序に見えるが、之によると流石の平八郎も必死の 覚悟をしたらしい、

 西組与力弓削新右衛門は文化十年の御役録に地方役とあるか らには与力中の故老で、之と相通して悪事を働いた四ケ所は天 満の作兵衛、鳶田の久右衛門、千日の吉五郎、それに新右衛門 の妾の親なる新町の妓楼八百新も加はつてゐた。悪事の遂一は 今明白では無いが、要するに権威を恃んで賄賂を誅求したに相 違なく、一件落着後贓金三千両を取上げて貧民に施したといへ ば、私曲奸邪の度も推測し得られよう。町奉行乃至彼の同僚等 はそれと知りつつ手を下すことが出来なかつたらしい。山陽が 大塩子起――子起は平八郎の字――の尾張に適くを送る序附録 (二)に、町奉行の姑息と与力の跋扈とを述べて、「尹心之を         ヘダ 知る、而も主客勢懸てゝ苟傍観し、吏良ありと雖も、衆寡敵せ ずして浮沈容を取る而已」とあるのは能く事情を悉してゐる。 新右衛門は高井山城守の組下では無いが、山城守は見るに見兼 ねて糺察方を平八郎に託した。「子起の始め密命を受くるや、   ハカ 自ら度るに事済らば国を補ひ、済らずんば家を破らん。家に一 妾あり、之を出して累無からしめ、然して後籌を運し策を決し、 親信を指頗し、発摘意外に出で、その封豕長蛇たる者を斃し、 首を駢べて戮に就き、内外股栗す」とあるが、之によると流石 の平八郎も必死の覚悟をしたらしい。


「浮世の有様 文政十二年大塩の功業」その1


「大塩平八郎」目次/ その24/その26

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