平八郎妾ゆ
う
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平八郎にはゆう附録(二六)といふ妾がある、曾根崎新地一丁目
ハンニヤジ
の茶屋和市の娘で、本名をひろと呼び、文政元年頃般若寺村百
姓忠兵衛の妹分として大塩邸に迎へられ、平八郎挙兵の当時に
はこの女は既に薙髪して居つたが、薙髪の理由として、元来平
八郎は一紙半銭と雖も謂なく他人から受けてはならぬと、常々
家人を戒めてゐたのに、ゆうが或人から櫛を貰ひ、返すに由な
く内密で匿してゐたことが露顕した為であると言伝へて居るが、
恐らくは誤伝で、平八郎が弓削一件に必死を極めた時に、ゆう
は殊勝にも薙髪して決心を示したものと思はれる、ゆうの薙髪
が文政十二年三月即ち弓削一件の年月と全く同じいのは此想像
を確めるに足る強い証拠だ、但し如何なる手段方法によつて新
右衛門に詰腹を切らしたか、作兵衛八百新等を服罪せしめたか
は、独り山陽の序に見えぬのみか、平八郎自身の辞職の詩の序
にも判然と書いて無い、否手段方法のみならず、両篇とも弓削
の弓の字も見えず、たゞ姦吏とか姦卒とか漠然たる文字を使用
してある計だ、弓削家を潰さぬ為に一切を秘密に付したものと
外考へられぬ。
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平八郎にはゆうといふ妾がある。曾根崎新地一丁目の茶屋和市
ハンニヤジ
の娘で、本名をひろと呼び、文政元年頃般若寺村百姓忠兵衛の
妹分として大塩邸に迎へられたものだが、この女は文政十二年
三月三十二歳の時に薙髪してゐる。一般の婦女子が長かれと祈
る黒髪を断つには余程な埋由がなくてはならぬ。同人薙髪の理
由として通例言伝へて居る説は、元来平八郎は一紙半銭と雖も
謂なく他人から受けてはならぬと、常々家人を戒めてゐたのに、
ゆうが或人から櫛を貰ひ、返すに由なく内密で匿してゐたこと
が露顕した為であるといふが、それは誤伝で、山陽の言ふ如く、
平八郎が弓削一件に必死を極めた時に、ゆうは殊勝にも薙髪し
て主人の足手纏にならぬ決心を示したものと思はれる。ゆうの
薙髪の年月が弓削一件の年月と全く符合するのはこの推定を確
めるに足る強い証拠だ。但し如何なる手段方法によつて新右衛
門に詰腹を切らしたか、作兵衛八百新等を服罪せしめたかは、
独り山陽の序に見えぬのみか、平八郎自身の辞職の詩の序にも
判然と書いて無い。否手段方法のみならず、両篇とも弓削の弓
の字も見えず、たゞ姦吏とか姦卒とか漠然たる文字を使用して
おる計だ。弓削家を潰さぬ為に一切を秘密に附したものと外考
へられぬ。
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