Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.2.22

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その26

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第一章 与力
  二 三大功績 上 (15)
 改 訂 版

平八郎妾ゆ
う

平八郎にはゆう附録(二六)といふ妾がある、曾根崎新地一丁目                        ハンニヤジ の茶屋和市の娘で、本名をひろと呼び、文政元年頃般若寺村百 姓忠兵衛の妹分として大塩邸に迎へられ、平八郎挙兵の当時に はこの女は既に薙髪して居つたが、薙髪の理由として、元来平 八郎は一紙半銭と雖も謂なく他人から受けてはならぬと、常々 家人を戒めてゐたのに、ゆうが或人から櫛を貰ひ、返すに由な く内密で匿してゐたことが露顕した為であると言伝へて居るが、 恐らくは誤伝で、平八郎が弓削一件に必死を極めた時に、ゆう は殊勝にも薙髪して決心を示したものと思はれる、ゆうの薙髪 が文政十二年三月即ち弓削一件の年月と全く同じいのは此想像 を確めるに足る強い証拠だ、但し如何なる手段方法によつて新 右衛門に詰腹を切らしたか、作兵衛八百新等を服罪せしめたか は、独り山陽の序に見えぬのみか、平八郎自身の辞職の詩の序 にも判然と書いて無い、否手段方法のみならず、両篇とも弓削 の弓の字も見えず、たゞ姦吏とか姦卒とか漠然たる文字を使用 してある計だ、弓削家を潰さぬ為に一切を秘密に付したものと 外考へられぬ。

平八郎にはゆうといふ妾がある。曾根崎新地一丁目の茶屋和市                   ハンニヤジ の娘で、本名をひろと呼び、文政元年頃般若寺村百姓忠兵衛の 妹分として大塩邸に迎へられたものだが、この女は文政十二年 三月三十二歳の時に薙髪してゐる。一般の婦女子が長かれと祈 る黒髪を断つには余程な埋由がなくてはならぬ。同人薙髪の理 由として通例言伝へて居る説は、元来平八郎は一紙半銭と雖も 謂なく他人から受けてはならぬと、常々家人を戒めてゐたのに、 ゆうが或人から櫛を貰ひ、返すに由なく内密で匿してゐたこと が露顕した為であるといふが、それは誤伝で、山陽の言ふ如く、 平八郎が弓削一件に必死を極めた時に、ゆうは殊勝にも薙髪し て主人の足手纏にならぬ決心を示したものと思はれる。ゆうの 薙髪の年月が弓削一件の年月と全く符合するのはこの推定を確 めるに足る強い証拠だ。但し如何なる手段方法によつて新右衛 門に詰腹を切らしたか、作兵衛八百新等を服罪せしめたかは、 独り山陽の序に見えぬのみか、平八郎自身の辞職の詩の序にも 判然と書いて無い。否手段方法のみならず、両篇とも弓削の弓 の字も見えず、たゞ姦吏とか姦卒とか漠然たる文字を使用して おる計だ。弓削家を潰さぬ為に一切を秘密に附したものと外考 へられぬ。


「浮世の有様 文政十二年大塩の功業」その1


「大塩平八郎」目次/ その25/その27

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