大阪の寺院
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大阪の寺院は天満の北隅と上町の東南隅とに集り、天満の分は
寺町橋を境として其道筋を東寺町西寺町といひ、上町の分は谷
町寺町八丁目寺町といふ、多分元和落城以後城主松平下総守忠
明が、新に町割を為す際、一大英断を以て寺院を此二ケ所に集
めたものらしい、是等は三郷以外で役即ち税を納めるに及ばな
かつたが、一向宗の寺院に限り、町中に居ることを許され、そ
の代に町人同様税を納めたものである、元禄八年の調査による
と、大阪及び附近の寺院は、天台宗壱ケ寺、浄土宗知恩寺下の
八拾五ケ寺、浄土宗知恩寺派弐拾壱ケ寺、浄土宗光明寺派九ケ
寺、浄土宗西山派弐ケ寺、真言宗生玉僧九ケ寺、真言宗七ケ寺、
四宗兼学律宗壱ケ寺、禅宗臨済派の六ケ寺、禅宗妙心寺派五ケ
寺、禅宗曹洞派の廿ケ寺法華宗受不施派の卅七ケ寺、西本願寺
門下九拾四ケ寺、西本願寺派興正寺門下拾壱ケ寺、東本願寺門
下の五拾四ケ寺、東本願寺下仏照寺組九ケ寺、東本願寺下本泉
寺組七ケ寺、本泉寺・天満御堂・難波御堂・及高田専修寺末寺
の欣浄寺は独判 独判の義下文に出づ 仏光寺下寺拾六ケ寺、大
念仏宗四ケ寺、合計四百弐拾弐ケ寺となり、其後多少の増滅は
あれど大変化は無い、御朱印のある寺社は四天王寺と生玉社だ
けで、残余は一切檀家の寄捨で維持して往く、
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大阪の寺院は天満の北隅と上町の東南隅とに集合し、天満の
分は寺町橋を境としてその道筋を東寺町西寺町といひ、上町の
分は谷町寺町八丁目寺町といふ。多分元和落城以後城主松平下
総守忠明が、新に町割を為す際、一大英断を以て寺院をこの二
ケ所に集めたものらしい。是等は三郷以外で役即ち税を納める
に及ばなかつたが、一向宗の寺院に限り、町中に居ることを許
され、その代に町人同様税を納めたものである。元禄八年の調
査によると、大阪及び附近の寺院は、西本願寺門下が一番多く
て九十四ケ寺、その次が浄土宗知恩院下の八十五ケ寺、東本願
寺門下の五十四ケ寺、法華宗受不施派の三十七ケ寺、浄土宗知
恩寺派二十一ケ寺、禅宗曹洞派の二十ケ寺等で合計四百二十二
ケ寺となり、その後多少の増滅はあつても大変化は無い。御朱
印のある寺社は四天王寺と生玉社だけで、残余は一切檀家の寄
捨で維持して往く。
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