Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.2.27

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その27

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第一章 与力
  二 三大功績 上 (16)
 改 訂 版


大阪の寺院

大阪の寺院は天満の北隅と上町の東南隅とに集り、天満の分は 寺町橋を境として其道筋を東寺町西寺町といひ、上町の分は谷 町寺町八丁目寺町といふ、多分元和落城以後城主松平下総守忠 明が、新に町割を為す際、一大英断を以て寺院を此二ケ所に集 めたものらしい、是等は三郷以外で役即ち税を納めるに及ばな かつたが、一向宗の寺院に限り、町中に居ることを許され、そ の代に町人同様税を納めたものである、元禄八年の調査による と、大阪及び附近の寺院は、天台宗壱ケ寺、浄土宗知恩寺下の 八拾五ケ寺、浄土宗知恩寺派弐拾壱ケ寺、浄土宗光明寺派九ケ 寺、浄土宗西山派弐ケ寺、真言宗生玉僧九ケ寺、真言宗七ケ寺、 四宗兼学律宗壱ケ寺、禅宗臨済派の六ケ寺、禅宗妙心寺派五ケ 寺、禅宗曹洞派の廿ケ寺法華宗受不施派の卅七ケ寺、西本願寺 門下九拾四ケ寺、西本願寺派興正寺門下拾壱ケ寺、東本願寺門 下の五拾四ケ寺、東本願寺下仏照寺組九ケ寺、東本願寺下本泉 寺組七ケ寺、本泉寺・天満御堂・難波御堂・及高田専修寺末寺 の欣浄寺は独判 独判の義下文に出づ 仏光寺下寺拾六ケ寺、大 念仏宗四ケ寺、合計四百弐拾弐ケ寺となり、其後多少の増滅は あれど大変化は無い、御朱印のある寺社は四天王寺と生玉社だ けで、残余は一切檀家の寄捨で維持して往く、

 大阪の寺院は天満の北隅と上町の東南隅とに集合し、天満の 分は寺町橋を境としてその道筋を東寺町西寺町といひ、上町の 分は谷町寺町八丁目寺町といふ。多分元和落城以後城主松平下 総守忠明が、新に町割を為す際、一大英断を以て寺院をこの二 ケ所に集めたものらしい。是等は三郷以外で役即ち税を納める に及ばなかつたが、一向宗の寺院に限り、町中に居ることを許 され、その代に町人同様税を納めたものである。元禄八年の調 査によると、大阪及び附近の寺院は、西本願寺門下が一番多く て九十四ケ寺、その次が浄土宗知恩院下の八十五ケ寺、東本願 寺門下の五十四ケ寺、法華宗受不施派の三十七ケ寺、浄土宗知 恩寺派二十一ケ寺、禅宗曹洞派の二十ケ寺等で合計四百二十二 ケ寺となり、その後多少の増滅はあつても大変化は無い。御朱 印のある寺社は四天王寺と生玉社だけで、残余は一切檀家の寄 捨で維持して往く。


「浮世の有様 僧侶取締布令


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