Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.2.28

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その28

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第一章 与力
  二 三大功績 上 (17)
 改 訂 版


宗旨手形

寛永年間島原に耶蘇教徒の乱があつた後、耶蘇教の取締は極め て厳重となり、其反動として幕府は仏教を保護する政策を執り、 大阪では各宗寺院をして其檀家に対し、宗旨手形一名宗旨請状 を差出さしむることとなつた、此手形が無ければ移転奉公等一 切戸籍上の変動を許さぬ、又或町に住居してからも、年々之を 貰つて其町会所に届出で、町会所はそれを集めて家持借家宗旨 人別帳なる者を作る、言はゞ今の戸籍台帳で、之には戸主家族 の氏名年齢を記すのみならず、必ず戸主の氏名の上に何宗何町 何寺檀徒と記入する、されば僧侶は一方には葬礼・法会・説教 等を行ひ、又一方には戸籍吏の仕事を勤め、檀家にとの関係を 深くしたもので、宗旨手形も其寺一判で済むのを独判といひ寺 格宜しく、然らざるは五人組といつて、俗人の如く同派の寺院 五ケ寺を一組とし―尤も中には四ケ寺六ケ寺七ケ寺を一組とし た者もあるが―一組の印を要したものである、一体大阪は冠婚 葬祭総て吉凶の礼に厚い所で、今日でも僧侶は必ず駕籠に乗り、 長刀・椅子・合羽籠の類を従へて葬儀に加り行く、吉凶の礼に 手重い所以は、金銀はあれども町人の都とて儀式バリたる事が 少い故、人生避くべからざる冠婚喪祭の時に当り、費用を惜し まず立派にするのであらうが、戸籍取扱による僧侶との密接な 関係も、厚葬の一因を為したのであらう、

 寛永年間島原に耶蘇教徒の乱があつた後、幕府は一方極めて 厳重に耶蘇教を取締ると共に、他方には仏教を保護する政策を 執り、各宗寺院をしてその檀家に対し、宗旨手形一名宗旨請状 を差出さしめ、宗旨手形が無ければ移転奉公等一切戸籍上の変 動を許さぬこととした。大阪では毎町今の戸籍台帳に当るもの を家持借家宗旨人別帳と称し、それには戸主家族の氏名年齢を 記すのみならず、必ず戸主の氏名の上に何宗何町何寺檀徒と記 入するを要した。されば僧侶は僧侶本来の仕事たる葬礼・法会・ 説教等を行ふ外に戸籍吏の仕事を勤め、従つて檀家に対し権力 があつた。一体大阪は冠婚葬祭総て吉凶の礼に厚い所で、僧侶 は必ず駕籠に乗り、長刀・椅子・合羽籠の類を従へて葬儀に参 列する。古凶の礼に手重い所以は、金銀のあるに任せて衣食住 に少し目立つたことをすれば、町人の身分として不埒至極と咎 められる故、人生避くべからざる冠婚葬祭の時に当り、費用を 惜しまず立派にするのであらうが、戸籍取扱による僧侶との密 接な関係も、厚葬の一因を為したのであらう。


「浮世の有様 文政十二年大塩の功業」その2


「大塩平八郎」目次/ その27/その29

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