僧侶の腐敗
堕落僧侶の
遠島
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右の次第で寺院は多く有幅であるが、徳川時代三百年を通じて
大阪の名僧知識を挙ぐれば、古くは契沖・龍谿・鉄眼、近くは
一心寺の真阿、誠に指を屈する計で、道徳堅固にして梵語に造
詣の深かりし高井田の慈雲は、在大阪中之島高松藩蔵屋敷の役
人森川安範の子ではあるが、之は大阪の部に数へ難い、其他は
凡々たる円顧にして、甚しきは色を漁し肉を喰ひ、俗人より遥
に下劣な者であつたらしいのは、町奉行所より屡々令して僧侶
の破戒を誡め、学業徳行の成就を奨励してあるので解る、併し
彼等には本寺あり、触頭あり、容易に町奉行所からも手を入れ
難く、また他人に危害を与へぬ限は敢て咎立をせぬ方針であつ
たかして、僧侶の腐敗は廓清する期が無い、坊主頭を頭巾に隠
して狭斜の巷に出入する、色子に狎れる、裁縫洗濯の為と称し
て寺内に婦女を引入れる、酒を飲む、魚鳥を食する、放逸無慙
の有様で、中にも北野で俗にかしく寺といふ寺の住持は狸を使
ひ、美貌の婦人があると、それに狸を憑かせ、加持祈祷に托し
て我寺に誘ひ、淫慾を恣にしたといふ話がある、併し僧侶の堕
落は大阪のみで無い、天下皆然りで、急に之を理めやうとすれ
ば繁刑に堪へぬ、其処で文政十三年三月平八郎が山城守より僧
侶の汚行検挙を命ぜらるゝや、再三触書を出して教訓を加へた
る後、尚非行を悛めざる者数十名を捕へて遠島を申渡した、是
よりして京都・奈良・堺も亦大阪に倣ひ、貪吏をけ姦僧を除
いたといへば、弓削新右衛門の詰腹一件と破戒僧侶の遠島一件
とは、官紀の振粛僧風の革新に少からざる影響を及したものと
いへる、一与力の仕事としては莫大の功績と言はねばならぬ。
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右の次第で寺院は多く有幅であるが、徳川時代三百年を通じ
て大阪の名僧知識を挙ぐれば、古くは契沖・龍谿・鉄眼、近く
は一心寺の真阿、誠に指を屈する計である。道徳堅固にして梵
語に造詣の深かつた高井田の慈雲は、在大阪中之島高松藩蔵屋
敷の役人森川安範の子ではあるが、之は大阪の部に数へ難い。
その他は凡々たる円顧にして、甚しきは色を漁し肉を喰ひ、俗
人より遥に下劣な者であつたらしいのは、町奉行所より屡々令
して僧侶の破戒を誡め、学業徳行の成就を奨励してゐるので解
る。併し彼等には本寺あり、触頭あり、容易に町奉行所からも
手を入れ難く、また他人に危害を与へぬ限は敢て咎立をせぬ方
針であつたから、僧侶の腐敗は廓清する期が無い。坊主頭を頭
巾に隠して狭斜の巷に出入する、色子に狎れる、裁縫洗濯の為
と称して寺内に婦女を引入れる、酒を飲む、魚鳥を食する、放
逸無慙といふべしだ。中にも北野で俗にかしく寺といふ寺の住
持は狸を使ひ、美貌の婦人があると、それに狸を憑かせ、加持
祈祷に託して我寺に誘ひ、淫慾を恣にしたといふ話がある。併
し僧侶の堕落は大阪のみで無い、天下皆然りで、急に之を理め
やうとすれば繁刑に堪へぬ。そこで文政十三年三月平八郎が山
城守より僧侶の汚行検挙を命ぜらるゝや、再三触書を出して教
訓を加へた後、尚非行を悛めざる者数十名を捕へて遠島を申渡
した。是よりして京都・奈良・堺も亦大阪に倣ひ、貪吏をけ
姦僧を除いたといへば、弓削新右衛門の詰腹一件と破戒僧侶の
遠島一件とは、官紀の振粛僧風の革新に少からざる影響を及し
たものといへる。一与力の仕事としては莫大の功績と言はねば
ならぬ。
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