Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.3.1

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その29

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第一章 与力
  二 三大功績 上 (18)
 改 訂 版


僧侶の腐敗


























堕落僧侶の
遠島

右の次第で寺院は多く有幅であるが、徳川時代三百年を通じて 大阪の名僧知識を挙ぐれば、古くは契沖・龍谿・鉄眼、近くは 一心寺の真阿、誠に指を屈する計で、道徳堅固にして梵語に造 詣の深かりし高井田の慈雲は、在大阪中之島高松藩蔵屋敷の役 人森川安範の子ではあるが、之は大阪の部に数へ難い、其他は 凡々たる円顧にして、甚しきは色を漁し肉を喰ひ、俗人より遥 に下劣な者であつたらしいのは、町奉行所より屡々令して僧侶 の破戒を誡め、学業徳行の成就を奨励してあるので解る、併し 彼等には本寺あり、触頭あり、容易に町奉行所からも手を入れ 難く、また他人に危害を与へぬ限は敢て咎立をせぬ方針であつ たかして、僧侶の腐敗は廓清する期が無い、坊主頭を頭巾に隠 して狭斜の巷に出入する、色子に狎れる、裁縫洗濯の為と称し て寺内に婦女を引入れる、酒を飲む、魚鳥を食する、放逸無慙 の有様で、中にも北野で俗にかしく寺といふ寺の住持は狸を使 ひ、美貌の婦人があると、それに狸を憑かせ、加持祈祷に托し て我寺に誘ひ、淫慾を恣にしたといふ話がある、併し僧侶の堕 落は大阪のみで無い、天下皆然りで、急に之を理めやうとすれ ば繁刑に堪へぬ、其処で文政十三年三月平八郎が山城守より僧 侶の汚行検挙を命ぜらるゝや、再三触書を出して教訓を加へた る後、尚非行を悛めざる者数十名を捕へて遠島を申渡した、是 よりして京都・奈良・堺も亦大阪に倣ひ、貪吏をけ姦僧を除 いたといへば、弓削新右衛門の詰腹一件と破戒僧侶の遠島一件 とは、官紀の振粛僧風の革新に少からざる影響を及したものと いへる、一与力の仕事としては莫大の功績と言はねばならぬ。

 右の次第で寺院は多く有幅であるが、徳川時代三百年を通じ て大阪の名僧知識を挙ぐれば、古くは契沖・龍谿・鉄眼、近く は一心寺の真阿、誠に指を屈する計である。道徳堅固にして梵 語に造詣の深かつた高井田の慈雲は、在大阪中之島高松藩蔵屋 敷の役人森川安範の子ではあるが、之は大阪の部に数へ難い。 その他は凡々たる円顧にして、甚しきは色を漁し肉を喰ひ、俗 人より遥に下劣な者であつたらしいのは、町奉行所より屡々令 して僧侶の破戒を誡め、学業徳行の成就を奨励してゐるので解 る。併し彼等には本寺あり、触頭あり、容易に町奉行所からも 手を入れ難く、また他人に危害を与へぬ限は敢て咎立をせぬ方 針であつたから、僧侶の腐敗は廓清する期が無い。坊主頭を頭 巾に隠して狭斜の巷に出入する、色子に狎れる、裁縫洗濯の為 と称して寺内に婦女を引入れる、酒を飲む、魚鳥を食する、放 逸無慙といふべしだ。中にも北野で俗にかしく寺といふ寺の住 持は狸を使ひ、美貌の婦人があると、それに狸を憑かせ、加持 祈祷に託して我寺に誘ひ、淫慾を恣にしたといふ話がある。併 し僧侶の堕落は大阪のみで無い、天下皆然りで、急に之を理め やうとすれば繁刑に堪へぬ。そこで文政十三年三月平八郎が山 城守より僧侶の汚行検挙を命ぜらるゝや、再三触書を出して教 訓を加へた後、尚非行を悛めざる者数十名を捕へて遠島を申渡 した。是よりして京都・奈良・堺も亦大阪に倣ひ、貪吏をけ 姦僧を除いたといへば、弓削新右衛門の詰腹一件と破戒僧侶の 遠島一件とは、官紀の振粛僧風の革新に少からざる影響を及し たものといへる。一与力の仕事としては莫大の功績と言はねば ならぬ。

  


「浮世の有様 文政十二年大塩の功業」その2


「大塩平八郎」目次/ その28/その30

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