さの
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文政八九年頃堂島辺へ京都から宮方の隠居が見え、加持祈祷を
能くし、吉凶禍福を未然に示し、信仰次第で家道も自然繁栄に
及ぶといふ風説が立つた、町奉行所で段々手を入れて見ると、
宮方の隠居などゝとは真赤な偽、西成郡川崎村憲法屋与兵衛の
借屋に居る京屋新助の母さのが張本人で、之が稲荷明神下を本
業とし、其手先となつて金銭物品を詐取したは同人倅新助・同
村憲法屋与七の女房八重・堂島新地裏町伊勢屋勘蔵並同人女房
ときと分明し、文政十年正月一同召捕の上入牢となり、掛与力
大塩平八郎瀬田藤四耶両名にて詰問すると、被害者は合計十九
名、家主与兵衛が銀三百目金三十両を出したのが最初で、其他
を合算すると銀五拾九貫目余・金弐拾八両壱分・銭七百弐拾貫
目余・衣類三百廿品余に上り、衣類は新助が置主となつて二軒
の質屋へ質物に入れてあつた、前記の金銭を銀に換算し、之に
質物代銀を加へると総額七拾弐貫目余となり、少からぬ金額で
ある、さうして詐欺の口実は今度堂島に来られた京都宮方の御
隠居が、稲荷明神信仰の余り、加持祈祷の妙法によつて病人又
は難渋者を救はれるに就いては、修法の元手として全銀銭、そ
れも叶はずば衣類にても納付すべく、之を納むれば家業自ら繁
業に及ぶと吹聴し、時としては之は明神から賜はつた利銀であ
るといつて、些少の金額を出銀者へ割戻したといふ、
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文政八九年頃堂島辺へ京都から宮方の隠居が見え、加持祈祷
を能くし、吉凶禍福を未然に示し、信仰次第で家道も自然繁栄
に及ぶといふ風説が立つた。町奉行所で段々手を入れて見ると、
宮方の隠居などゝとは真赤な偽、西成郡川崎村憲法屋与兵衛の
借屋に居る京屋新助の母さのといひ、稲荷明神下を本業とする
もので、同人倅新助・同村憲法屋与七の女房八重・堂島新地裏
町伊勢屋勘蔵、同人女房とき等が手先となつて金銭物品を詐取
したことが判明し、文政十年正月一同召捕の上入牢となり、掛
与力大塩平八郎瀬田藤四耶両名にて詰問すると、被害者は家主
与兵衛を第一とし、合計十九名、被害の金銭衣類を合算すると
銀五十九貫目余、金弐拾八両壱分・銭七百弐拾貫文余・衣類三
百廿品余に上り、衣類は新助が置主となつて二軒の質屋へ質物
に入れてあつた。前記の金銭を銀に換算し、之に質物代銀を加
へると総額七拾弐貫目余となり、少からぬ金額である。さうし
て詐欺の口実は今度堂島に来られた京都宮方の御隠居が、稲荷
明神信仰の余り、加持祈祷の妙法によつて病人又は難渋者を救
はれるに就いては、修法の元手として全銀銭、それも叶はずば
衣類にても寄進すべく、さすれば寄進者の家業自ら繁業に及ぶ
べしと吹聴し、時としては之は明神から賜はつた利銀であると
いつて、些少の金額を出銀者へ割戻したといふ。
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