Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.3.7

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その31

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第一章 与力
  二 三大功績 下 (2)
 改 訂 版










さの

文政八九年頃堂島辺へ京都から宮方の隠居が見え、加持祈祷を 能くし、吉凶禍福を未然に示し、信仰次第で家道も自然繁栄に 及ぶといふ風説が立つた、町奉行所で段々手を入れて見ると、 宮方の隠居などゝとは真赤な偽、西成郡川崎村憲法屋与兵衛の 借屋に居る京屋新助の母さのが張本人で、之が稲荷明神下を本 業とし、其手先となつて金銭物品を詐取したは同人倅新助・同 村憲法屋与七の女房八重・堂島新地裏町伊勢屋勘蔵並同人女房 ときと分明し、文政十年正月一同召捕の上入牢となり、掛与力 大塩平八郎瀬田藤四耶両名にて詰問すると、被害者は合計十九 名、家主与兵衛が銀三百目金三十両を出したのが最初で、其他 を合算すると銀五拾九貫目余・金弐拾八両壱分・銭七百弐拾貫 目余・衣類三百廿品余に上り、衣類は新助が置主となつて二軒 の質屋へ質物に入れてあつた、前記の金銭を銀に換算し、之に 質物代銀を加へると総額七拾弐貫目余となり、少からぬ金額で ある、さうして詐欺の口実は今度堂島に来られた京都宮方の御 隠居が、稲荷明神信仰の余り、加持祈祷の妙法によつて病人又 は難渋者を救はれるに就いては、修法の元手として全銀銭、そ れも叶はずば衣類にても納付すべく、之を納むれば家業自ら繁 業に及ぶと吹聴し、時としては之は明神から賜はつた利銀であ るといつて、些少の金額を出銀者へ割戻したといふ、

 文政八九年頃堂島辺へ京都から宮方の隠居が見え、加持祈祷 を能くし、吉凶禍福を未然に示し、信仰次第で家道も自然繁栄 に及ぶといふ風説が立つた。町奉行所で段々手を入れて見ると、 宮方の隠居などゝとは真赤な偽、西成郡川崎村憲法屋与兵衛の 借屋に居る京屋新助の母さのといひ、稲荷明神下を本業とする もので、同人倅新助・同村憲法屋与七の女房八重・堂島新地裏 町伊勢屋勘蔵、同人女房とき等が手先となつて金銭物品を詐取 したことが判明し、文政十年正月一同召捕の上入牢となり、掛 与力大塩平八郎瀬田藤四耶両名にて詰問すると、被害者は家主 与兵衛を第一とし、合計十九名、被害の金銭衣類を合算すると 銀五十九貫目余、金弐拾八両壱分・銭七百弐拾貫文余・衣類三 百廿品余に上り、衣類は新助が置主となつて二軒の質屋へ質物 に入れてあつた。前記の金銭を銀に換算し、之に質物代銀を加 へると総額七拾弐貫目余となり、少からぬ金額である。さうし て詐欺の口実は今度堂島に来られた京都宮方の御隠居が、稲荷 明神信仰の余り、加持祈祷の妙法によつて病人又は難渋者を救 はれるに就いては、修法の元手として全銀銭、それも叶はずば 衣類にても寄進すべく、さすれば寄進者の家業自ら繁業に及ぶ べしと吹聴し、時としては之は明神から賜はつた利銀であると いつて、些少の金額を出銀者へ割戻したといふ。


「浮世の有様 文政十二年大塩の功業」その2


「大塩平八郎」目次/ その30/その32

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ