Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.3.13

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その33

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第一章 与力
  二 三大功績 下 (4)
 改 訂 版


きぬ及豊田
貢の捕縛

段々取調中、さのが以前住んで居つた堂島新地裏町播磨屋卯兵 衛女房そよなる者の口から、さの同町住居の頃は忰新助晴雨の 別なく毎日昼過から日暮まで、天満龍田町播磨屋藤蔵同居きぬ 方へ通つたことが知れたので、直にきぬを捕縛尋問して見ると、 きぬも色々申立を仕たが、家にはさの同様稲荷明神を祭つてあ るし、紙にて作つた人形があるし、天井板の透間其他人の眼を                      ミトホシ 牽かぬ所に金銀銭が隠してあるし、其頃八坂の見通と呼ばれた る京都八坂上ル町豊田貢との往復の書面はあるし、遂にさのき ぬ両人突合吟味となり、その結果きぬはさのゝ師匠であると共 に貢はまたきぬの師匠で、彼等の行ふ所は御禁制の耶蘇の邪法 と解り、片時も忽にし難いと京郡町奉行神尾備中守へ懸合ひ、 捕縛の上大阪へ護送となつた、きぬの入牢は四月廿七日、貢は 六月十三日で、俗説に平八郎身形を変じて貢の家に入込み、其 邪術を看破して捕縛したとあるは誤伝で、洛中洛外は京都町奉 行の支配であるから、万一此の如き事があつたとすれば、京都 町奉行は自分の支配範囲を侵されながら黙つて居るべき筈は無 い。

 段々取調中、さのが以前住んで居つた堂島新地裏町播磨屋卯 兵衛女房そよなる者の口から、さの同町住居の頃忰の新助が晴 雨の別なく毎日昼過から日暮まで、天満龍田町播磨屋藤蔵同居 きぬ方へ通つたことが知れたので、直ちにきぬを捕縛尋問して 見ると、きぬは色色陳弁したが、同人家にはさの同様稲荷明神 を祭つてあるし、紙にて作つた人形があるし、天井板の透間そ の他人の眼の附かぬ所に金銀銭が隠してあるし、その頃八坂の ミトホシ 見透と呼ばれた京都八坂上ル町豊田貢との往復の書面はあるし、 遂にさのきぬ両人突合吟味となり、その結果きぬはさのの師匠 であると共に貢はまたきぬの師匠で、彼等の行ふ所は御禁制の 耶蘇の邪法であらうと認定し、至急貢の捕縛護送方を京郡町奉 行神尾備中守へ懸合つた。きぬの入牢は四月廿七日、貢の入牢 は六月十三日である。俗説に平八郎身を変じて貢の家に入込み、 その邪術を看破して之を捕縛したとあるが、それは誤伝と思ふ。 洛中洛外は京都町奉行の支配であるから、万一此の如き事があ つたとすれば、京都町奉行は自分の支配範囲を侵されながら黙 つて居るべき筈は無い。


「浮世の有様 文政十二年切支丹始末」その7


「大塩平八郎」目次/ その32/その34

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