いと
とき
|
其処で京都町奉行へ懸合ひ、わさ子孫の有無、並に同人死跡引
取先に天帝如来の画像が取隠してあるや否やを取調べて貰ふと、
同地町奉行の手からわさ養女としていと・とき両人、及死跡引
取人として東洞院二條上ル美濃屋佐兵衛なるものを送つて来た。
佐兵衛の言ふ所によれば、右体の画像は曾て見当らないとあつ
て紛しくは無く、画像捜索の手蔓は一旦切れたが、いと・とき
両名の申口によつて大なる発見があつた―いとは八歳の時わさ
の養女に貰はれ、十六歳の時奉公に出で、其主人の妻となつた
者で、ときは当歳の時からわさの養女となり、始終その傍に居
り、長じて遊女に売られ、今は幸に何某の妻となつて居る者で
ある―即ち水野軍記といふ客人とわさが特に懇意であつた事、
貢が夫斎藤伊織に棄てられてからわさ方に同居し、軍記・わさ・
貢三人奥座敷に引籠りて密談に及び、何人をも近付けざる事、
貢が八坂上ル町へ引越後、わさが商売を第二として毎々貢方へ
通ひ、時には夜中起上り何事か祈念を凝らし、紙にて人形を作
る故、その所以を聞きしにお前等の知る所にあらずと叱られた
事、ときはわさより自分の代に貢に就いて修行せよと命ぜられ、
詮方なく貢方に赴いたが、修行を拒んだ為に存外の折檻を被り、
逃帰つてわさに話すと、却つて其怒に触れて、進退谷り、生命
を捨てやうと覚悟した所ヘ、いとが偶然にも来合せて思止まつ
た事、其後水野軍記へ預けられ、終にわさの為に遊女に売られ
た事等が彼等の口から知れた、
|
そこで京都町奉行へ懸合ひ、わさ子孫の有無、並びに同人死
跡引取先に天帝如来の画像が取隠してあるや否やの取調を依頼
すると、同地からわさ養女としていと・とき両人、及び死跡引
取人として東洞院二條上ル美濃屋佐兵衛なるものを送つて来た。
佐兵衛の言ふ所によれば、右体の画像は曾て見当らないとあつ
て、捜索の手蔓は一旦切れたが、いと・とき両名の申口によつ
て大いな発見があつた。いとは八歳の時わさの養女に貰はれ、
十六歳の時奉公に遣られ、奉公先の主人の妻となつた者、とき
は当歳の時からわさの養女となり、始終その傍に居り、長じて
遊女に売られ、今は幸に何某の妻となつて居る者である。この
両人の口からわさが水野軍記といふ客人と特に懇意であつたこ
と、貢は夫斎藤伊織に棄てられてからわさ方に同居し、軍記・
わさ・貢三人奥座敷に引籠つて密談に及び、何人をも近付けな
かつたこと、貢が八坂上ル町へ引越後、わさが商売を第二とし
て毎々貢方へ通ひ、時には夜中起上り何事か祈念を凝らし、紙
にて人形を作る故、その謂を聞いた所、お前等の知る所でない
と叱られたこと、ときはわさから自分の代に貢に就いて修行せ
よと命ぜられ、詮方なく貢方に赴いたが、修行を拒んだ為に存
外の折檻を被り、逃帰つてわさに話すと、却つてその怒に触れ
て、進退谷まり、生命を捨てやうと覚悟した所ヘ、いとが偶然
にも来合せて思止まつたこと、その後ときは水野軍記へ預けら
れ、終にわさの為に遊女に売られた事等が知れた。
|