中村屋新太
郎
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何人が画像の譲受人であるか、慧眼なる読者は利右衛門久兵衛
と共に軍記の世話をした中村屋新太郎に疑を懸けらるゝであら
う、掛与力大塩瀬田両名の見込も同様であつたが、新太郎は文
政九年三月に死亡して居るので、同人忰即ち当主の新太郎を吟
味すると、疑は果して事実となつた、その要を摘むと、親新太
郎は死去前数日、傍に人なき折を窺ひ、我子を招きて声を潜め、
此度の病気は本復覚束なし、別に遣言とては無いが、必ず以来
は軍記如きものと交はるべからず、只管〔家〕筋を大切に存じ、
商売を励めよ、我は平素軍記に深交ありしが故、拠なく仏画一
幅を質物に取り、多分の金子を用立てしが、彼は終にそれを請
出しもせずして病死致し、少からざる迷惑にて、右の仏画は今
猶土蔵にあり、軍記は豪気者故同人死後如何様の変事出来せん
も計られず、其際我家に彼の預品あつては疑を受くること必定、
家内召使に覚られざるやう右仏画は引裂いて水に流すか、或は
焼捨てよと遺言した、当新太郎は亡父の申付であるが、差して
大切な事とも考へず、彼是家事に取紛れて捨てゝ置いた処、十
年後耶蘇教徒の疑獄起り、軍記の弟子筋追々捕縛との風説を聞
き、亡父の遣言を想起し、家内改なんどを受けては大変と案じ
て居る失先へ、突然不祥の事が湧いた、閏六月十一日三十年前
亡父新太郎が手間と材料とを惜まずに作つた井戸水が濁り腐り、
一面に虫を生じ、一口も呑めぬやうになつたので、新太郎は肝
に徹し、早速土蔵へ入つて平素開閉せぬ箪笥の中を捜すと、遣
言通の一幅―異形の婦女が両手に何か持つてゐる長さ四尺余の
古画―があつたので、怖しくて能と見極めず、竊に持出し、土
蔵の間にある捨寵に行水の湯を沸した火の燃残つて居る中へ投
込んで、唯一握の灰として仕舞つたといふのである。
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何人が画像の譲受人であるか。慧眼な読者は利右衛門久兵衛
と共に軍記の世話をした中村屋新太郎に疑を懸けられるであら
う。掛与力大塩瀬田両名の見込も同様であつたが、新太郎は文
政九年三月に死亡して居るので、同人忰弥太郎即ち当主の新太
郎を吟味すると、疑は果して事実となつた。その要を摘まむと、
親新太郎は死去前数日、傍に人なき折を窺ひ、忰を招いて声を
潜め、今度の病気は本復覚束ない。別に遣言とては無いが、以
来は必ず軍記如きものと交はるな。只管家筋を大切に存じ、商
売を励めよ。我は平素軍記に深交ありし故、拠なく仏画一幅を
質物に取り、多分の金子を用立てたが、彼は終にそれを請出し
もせずして病死し、少からざる迷惑となつた。右の仏画は今尚
土蔵にある。軍記は豪気者故同人死後如何様の変事出来せんも
計られず、その際我が家に彼の預品あつては疑を受けること必
定故、家内召使等に覚られざるやう右仏画は引裂いて水に流す
か、或は焼捨てよと遺言した。当新太郎は亡父の申付であるが、
差して大切な事とも考へず、彼是家事に取紛れて捨てて置いた
処、先代歿後十年を経て耶蘇教徒の疑獄起り、軍記の弟子筋追
々捕縛との風説を聞き、亡父の遣言を思出し、万一家内改なん
どを受けては大変と案じて居る失先へ、突然不祥の事が湧いた。
即ち閏六月十一日三十年前亡父新太郎が手間と材料とを惜しま
ずに作つた井戸水が濁り腐り、一面に虫を生じ、一口も呑めぬ
やうになつたので、新太郎は肝に徹し、早速土蔵へ入つて平素
開閉せぬ箪笥の中を捜すと、遣言通の一幅――異形の婦女が両
手に何か持つてゐる長さ四尺余の古画――があつたので、怖し
くて聢と見極めもせず、竊に持出し、土蔵の間にある捨寵に行
水の湯を沸した火の燃残つて居る中へ投込んで、唯一握の灰と
して仕舞つたといふのである。
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