Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.4.4

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その43

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第一章 与力
  二 三大功績 下 (14)
 改 訂 版


中村屋新太
郎

何人が画像の譲受人であるか、慧眼なる読者は利右衛門久兵衛 と共に軍記の世話をした中村屋新太郎に疑を懸けらるゝであら う、掛与力大塩瀬田両名の見込も同様であつたが、新太郎は文 政九年三月に死亡して居るので、同人忰即ち当主の新太郎を吟 味すると、疑は果して事実となつた、その要を摘むと、親新太 郎は死去前数日、傍に人なき折を窺ひ、我子を招きて声を潜め、 此度の病気は本復覚束なし、別に遣言とては無いが、必ず以来 は軍記如きものと交はるべからず、只管〔家〕筋を大切に存じ、 商売を励めよ、我は平素軍記に深交ありしが故、拠なく仏画一 幅を質物に取り、多分の金子を用立てしが、彼は終にそれを請 出しもせずして病死致し、少からざる迷惑にて、右の仏画は今 猶土蔵にあり、軍記は豪気者故同人死後如何様の変事出来せん も計られず、其際我家に彼の預品あつては疑を受くること必定、 家内召使に覚られざるやう右仏画は引裂いて水に流すか、或は 焼捨てよと遺言した、当新太郎は亡父の申付であるが、差して 大切な事とも考へず、彼是家事に取紛れて捨てゝ置いた処、十 年後耶蘇教徒の疑獄起り、軍記の弟子筋追々捕縛との風説を聞 き、亡父の遣言を想起し、家内改なんどを受けては大変と案じ て居る失先へ、突然不祥の事が湧いた、閏六月十一日三十年前 亡父新太郎が手間と材料とを惜まずに作つた井戸水が濁り腐り、 一面に虫を生じ、一口も呑めぬやうになつたので、新太郎は肝 に徹し、早速土蔵へ入つて平素開閉せぬ箪笥の中を捜すと、遣 言通の一幅―異形の婦女が両手に何か持つてゐる長さ四尺余の 古画―があつたので、怖しくて能と見極めず、竊に持出し、土 蔵の間にある捨寵に行水の湯を沸した火の燃残つて居る中へ投 込んで、唯一握の灰として仕舞つたといふのである。

 何人が画像の譲受人であるか。慧眼な読者は利右衛門久兵衛 と共に軍記の世話をした中村屋新太郎に疑を懸けられるであら う。掛与力大塩瀬田両名の見込も同様であつたが、新太郎は文 政九年三月に死亡して居るので、同人忰弥太郎即ち当主の新太 郎を吟味すると、疑は果して事実となつた。その要を摘まむと、 親新太郎は死去前数日、傍に人なき折を窺ひ、忰を招いて声を 潜め、今度の病気は本復覚束ない。別に遣言とては無いが、以 来は必ず軍記如きものと交はるな。只管家筋を大切に存じ、商 売を励めよ。我は平素軍記に深交ありし故、拠なく仏画一幅を 質物に取り、多分の金子を用立てたが、彼は終にそれを請出し もせずして病死し、少からざる迷惑となつた。右の仏画は今尚 土蔵にある。軍記は豪気者故同人死後如何様の変事出来せんも 計られず、その際我が家に彼の預品あつては疑を受けること必 定故、家内召使等に覚られざるやう右仏画は引裂いて水に流す か、或は焼捨てよと遺言した。当新太郎は亡父の申付であるが、 差して大切な事とも考へず、彼是家事に取紛れて捨てて置いた 処、先代歿後十年を経て耶蘇教徒の疑獄起り、軍記の弟子筋追 々捕縛との風説を聞き、亡父の遣言を思出し、万一家内改なん どを受けては大変と案じて居る失先へ、突然不祥の事が湧いた。 即ち閏六月十一日三十年前亡父新太郎が手間と材料とを惜しま ずに作つた井戸水が濁り腐り、一面に虫を生じ、一口も呑めぬ やうになつたので、新太郎は肝に徹し、早速土蔵へ入つて平素 開閉せぬ箪笥の中を捜すと、遣言通の一幅――異形の婦女が両 手に何か持つてゐる長さ四尺余の古画――があつたので、怖し くて聢と見極めもせず、竊に持出し、土蔵の間にある捨寵に行 水の湯を沸した火の燃残つて居る中へ投込んで、唯一握の灰と して仕舞つたといふのである。


「浮世の有様 文政十二年切支丹始末」その7


「大塩平八郎」目次/ その42/その44

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ