Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.4.5

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その44

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第一章 与力
  二 三大功績 下 (15)
 改 訂 版


軍記の奇蹟

       ツキモノ 奇蹟は宗教家に附属物である、蒔次郎の申立によると、彼は軍 記の手に合はぬ程の悪戯者であつた為、或時軍記は紙屑籠を紙 屑の入つたまゝ女の髪毛にて釣下げ、親の吩附を守らねば、其 方も此様に髪毛にて釣下げるといひ、或時は六畳の間にて弐間 余の槍を遣ひ、或時は壁へ身体を着けたまゝ刀を抜き、又或時 は二階床下を一斉に震動させて彼を威し、其度毎に彼は震へ上 つて改心を誓つたとある、尤も軍記が歿したは蒔次郎が十一歳 の時で、何分幼年者の見聞故当にならぬとしても、貢平蔵の申 口中軍記の奇蹟を伝へて居るのは不思議で、彼等は実に之に因 つて信仰心を起したのである、貢は夫伊織が宮川町の桂といふ 遊女に迷ひ、家財諸色貯金銀を捨置き、離縁状を認めて姿を隠 してから、再三桂を刺殺さうと思立つたが、其都度兼て懇意の 糸屋わさに差止められ、不実男に未練を残さず、当分我家に同 居せよとの親切な言葉に従ひ、彼是六十日計わさ方に滞在中、 水野軍記と知己になり、間に任せて一部始終を物語つた、軍記 は之を聞き、左程桂が憎ければ、同人の姿を見せ遣すにより、 それにて鬱憤を晴すべく、容貌年齢等を委細に告げよといひ、 わさも之を勧めるので、半信半偽ながら委細を話すと、然らば 他見他言無用なりといつて、軍記・わさ・貢三人わさ方の離座 敷に入り、平常酌に立つときをも近寄せなんだ、扨て軍記が座 を隔てながら四五間向に燈してある蝋燭の火を吹消せば、其座 一体に薄明くなり、軍記が縁側へ出ると、忽然座敷の庭先の路 次から、桂が下女体の者と両人連にて歩行き来り、既に縁先へ 揚り懸る姿が聢と見えるので、貢は平生の鬱憤一時に発し、歯 切して飛付かうとするのを、わさは無言にて差止め、間も無く 桂の姿は消失せて仕舞つた、わさが燈を点けてから、貢は軍記 に一礼を述べ、且つ憤り且つ悦び、奇異の念晴れざるを見て、 軍記は今一奇術行ふべしといひ、わさに申付け、鉢に水を汲せ、 何か咒文を唱へると、其水は二尺計高く上つた、貢は夫伊織が 易占稲荷明神下を職とする所から其伝を習得たが、稲荷下の如 きは畢竟愚民を誑すに過ぎずと蔑視つて居た所、眼前に軍記の 行ふ不思議に驚され、伝授を請ふと、右等は妖術にて取るに足 らず、夫よりも別に授くる一法あり、之を修行せば吉凶禍福を 未然に察し、病者を本復せしめ、金銀に不自由せずといひ、終 に耶蘇の法を伝へたとある、高見屋平蔵は軍記から耶蘇教の説 を聞き、天草軍記に切支丹伴天連の徒が不思議の術を行つたと ある所から、軍記も亦必ず奇術に通じ居ると想ひ、之を一見せ んことを望み、天帝如来の画像を拝して後、貢と同じく暗中に 婦人の姿を認めたのであるが、其模様は貢の時と殆ど同様であ つた、平蔵の二階二拾畳敷二間の場所で、座敷の蝋燭を吹消す と、同時に暗黒になるべき室内は却て薄明くなり、何方ともな く女の姿が顕れたので、平蔵は大に驚き物凄くなり、お手並は 充分、早早止めくだされと声を懸けると、女の姿は消えて闇と なつたといふ、燈を点けてから平蔵が此術の伝授を請ふと、軍 記の答には、尊公は禅門に於ては不動心の修行座禅なども致さ れたらうが、我宗門にては浴水の年功は勿論、天帝如来を念ず る勤労をも積まれず、既に只今大声を発せられたも動心の証拠、 この術を伝授致し、万一手妻同様座興に行はれなば、奇怪の風 説生じ、露顕の基ともなるべきにつき、尊公のみならず、何人 にも浴水登山の修行不動心成就の上と申して伝法致さずとあつ た。されば軍記の妙術は軍記一人に限り、之を伝へた者も無い が、軍記が宗門勤誘の一方便とし貢に教へた印文は、彼女の吟 味書中に見え、播磨屋喜之進なる者、貢より此印文を施され、 両眼自ら閉ぢて身体自由を得ざりしとある、併し其印文は此 の如きものにて、中央の点を打つと同時に声を懸け両手を打つ、 是とても修行により出来不出来があると、貢の自白する所を以 て見れば、子供騙の様なもので、軍記が妙術も二度が二度なが ら女姿を現出せしる丈では頗る疑はしい、

        ツキモノ  奇蹟は宗教家に附属物である。軍記の忰蒔次郎の申立による と、彼は父親の手に合はぬ程の悪戯者であつた為、或時軍記は 紙屑籠を紙屑の入つたまま女の髪毛にて釣下げ、親の言附を守 らねば、其方もこの様に髪毛にて釣下げるといひ、或時は六畳 の間にて弐間余の槍を遣ひ、或時は壁へ身体を着けたまま刀を 抜き、また或時は二階床下を一斉に震動させて彼を威し、その 度毎に彼は震へ上つて改心を誓つたとある。尤も軍記が歿した は蒔次郎が十一歳の時で、何分幼年者の見聞故当にならぬとし ても、貢や平蔵の申口中軍記の奇蹟を伝へて居るのは不思議で、 彼等は実に之に因つて信仰心を起したのである。貢は夫伊織が 宮川町の桂といふ遊女に迷ひ、家財・諸色・銀銭を捨置き、離 縁状を認めて姿を隠してから、再三桂を刺殺さうと思立つたが、 その都度兼て懇意の糸屋わさに差止められ、不実男に未練を残 さず、当分我が家に同居せよとの親切な言葉に従ひ・彼是六十 日計わさ方に滞在中、水野軍記と知己になり、間に任せて一部 始終を物語つた。軍記は之を聞き、左程桂が憎ければ、同人の 姿を見せ遣はすにより、それにて鬱憤を晴すべく、容貌年齢等 を委細に告げよといひ、わさも之を勧めるので、半信半疑なが ら委細に話すと、然らば他見他言無用なりといつて、軍記・わ さ・貢三人わさ方の離座敷に入り、平常酌に立つときをも近寄 せなんだ。扨て軍記は座を隔てながら四五間向に燈してある蝋 燭の火を吹消すと、その座一体に薄明るくなり、軍記が縁側へ 出ると、忽然座敷の庭先の路次から、桂が下女体の者と両人連 にて歩行き来り、既に縁先へ揚り懸る姿が判然見えるので、貢 は平生の鬱憤一時に発し、歯切して飛付かうとするのを、わさ は無言で差止め、間も無く桂の姿は消失せて仕舞つた。わさが 燈を点けてから、貢は軍記に一礼を述べ、且つ憤り且つ悦び、 奇異の念晴れざるを見て、軍記は今一奇術行ふべしといひ、わ さに申付け、鉢に水を汲ませ、何か咒文を唱へると、水は二尺 計高く上つた。貢は夫伊織が易占稲荷明神下を職とする所から その伝を習得たが、稲荷下の如きは畢竟愚民を誑すに過ぎずと 蔑視つて居た所、眼前に軍記が行つた不思議に驚き、伝授を請 ふと、右等は妖術にて取るに足らず、夫よりも別に授くる一法 あり、之を修行せば吉凶禍福を未然に察し、病者を本復せしめ、 金銀に不自由せずといひ、終に耶蘇の法を伝へたとある。高見 屋平蔵は軍記から耶蘇教の説を聞き、天草軍記に切支丹件天連 の徒が不思議の術を行つたとある所から、軍記も亦必ず奇術に 通じ居ると想ひ、之を一見せんことを望み、天帝如来の画像を 拝して後、貢と同じく暗中に婦人の姿を認めたのであるが、そ の様子は貢の時と殆ど同様であつた。平蔵の二階二拾畳敷二間 の場所で、座敷の蝋燭を吹消すと、同時に暗黒になるべき室内 は却て薄明るくなり、何方ともなく女の姿が顕れたので、平蔵 は物凄くなり、お手並は充分、早々お止めくだされと声を懸け ると、女の姿は消えて再び闇となつたといふ。燈を点けてから 平蔵が奇術の妙を賞美して伝授を請ふと、軍記の答には、尊公 は禅門に於ては不動心の修行座禅なども致されたらうが、我が 宗門にては浴水の年功は勿論、天帝如来を念ずる勤労をも積ま れず、既に只今大声を発せられたるも動心の証拠である。この 術を伝授致し、万一手品同様座興に行はれなば、奇怪の風説生 じ、露顕の基ともなるべきにつき、尊公のみならず、何人にも 浴水登山の修行不動心成就の上と申して伝法致さずとあつた。 されば軍記の妙術は軍記一人に限り、之を伝へた者も無いが、 軍記が宗門勤誘の一方便とし貢に教へた印文は、彼女の吟味書 中に見え、播磨屋喜之進といつて貢方へ修行のため下男同様に 奉公した男が、貢からこの印文を施された時両眼自ら閉ぢて身 体自由を得ざりしとある。その印文は此の如きもので、中央 の点を打つと同時に声を懸け両手を打つ、是とても修行により 出来不出来があると、貢の自白する所を以て見れば、子供騙の 様なもので、軍記が妙術も二度が二度ながら女姿を現出せしめ た丈では頗る疑はしい。


「浮世の有様 文政十二年切支丹始末」その7


「大塩平八郎」目次/ その43/その45

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