Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.7.12

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その45

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第一章 与力
  二 三大功績 下 (16)
 改 訂 版


果して耶蘇
教徒か

軍記の人物、伝法の始末、弟子筋の所業等から考へると、彼等 を禁制の邪教徒と認めた大塩平八郎瀬田藤四郎両名の判断は正 当であらうか、天帝及びセンスマルハライソの呪文、たゞ此二 者を以て耶蘇教と断ずるのは早計だ、浴水不動心の修行は必ず しも耶蘇教の特徴で無く、病気加持の法は寧ろ古来日本にある ミソギ 禊の法から脱化したものと言ふべきで、キリスト・十字架・懺 悔・洗礼・天堂・地獄、是等の名称は嘗て軍記の口から出たこ とは無い、彼の伝ふる所は宗教の本面目にあらずして其末技で ある、桂蔵平蔵は軍記より法を伝へたが何事も仕出来さず、而 して貢・きぬ・さの等の為す所は稲荷下・狐遣・狸遣の類と相 距る遠からずで、天帝及びセンスマルハライソの二名称を徐け ば、耶蘇教臭き分子は皆無と言つて差支無からう、

 軍記の人物、伝法の始末、弟子筋の所業等から考へると、彼 等を禁制の邪教徒と認めた大塩平八郎瀬田藤四郎両名の判断は 正当であらうか。天帝及びセンスマルハライノの呪文、ただこ の二つを以て耶蘇教と断ずるのは早計では無からうか。浴水不 動心の修行は必ずしも耶蘇教の特徴で無く、病気加持の法は寧         ミソギ ろ古来日本にある禊の法から脱化したものと言ふべきで、耶蘇・ 十字架・洗礼・懺悔・祈祷・聖餐、是等の名称は嘗て軍記の口 から出たことは無い。彼の伝ふる所は宗教の本面目にあらずし て末技である。桂蔵平蔵は軍記より法を伝へたが何事も仕出来 さず、而して貢・きぬ・さの等の為す所は稲荷下・狐遣・狸遣 の類と相距る遠からずで、天帝及びセンスマルハライソの二名 称を徐けば、耶蘇教臭き分子は皆無と言つて差支無からう。


「浮世の有様 文政十二年切支丹始末」その7


「大塩平八郎」目次/ その44/その46

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