Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.7.18

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その46

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第一章 与力
  二 三大功績 下 (17)
 改 訂 版


藤田顕蔵 

但し軍記とは何等の因縁なくして今回捕縛となつた藤田顕蔵は、 漢訳の耶蘇教書類を所持し、燃犀録稿と題して耶蘇教に関する 著述まであつたが、之とても教義を弘めたといふのではなく、 阿州山崎村から大阪へ出て、堂島新地一丁目医師藤田幸庵の婿 養子となり、医書儒書を読み、西洋医学執心の余、次第に書籍 を買集めて天文・地理・宗教に及んだのである、彼は御制禁耶 蘇書類三十八部といつて大阪表に布告せられた禁書中九部十五 冊・燃犀録稿一冊・踏絵写四枚の外に、尚「紛敷書類」九部十 二冊を蔵してゐたといへば、当時の国法にては到底免れ難き犯 罪者ではあるが、制禁書類といひ、紛敷書類といひ、必ずしも 耶蘇教関係の書類のみで無いことは留意せねばならぬ、桂蔵は 顕蔵の医友河内平岡の神官亡水走飛騨といふ者の処へ暫く厄介 になり、飛騨の使で顕蔵に面会し、彼が多く西洋の珍書を所持 するのみならず、燃犀録稿といふ著述まであることを知り、之 を白洲で喋舌つた為、顕蔵は縲紲の耻を受けたのである、

 軍記とは何等の因縁なくして今回捕縛となつたは藤田顕蔵で ある。彼は漢訳の耶蘇教書類を所持し、燃犀録稿と題して耶蘇 教に聞する著述まであつたが、之とても教義を弘めたといふの ではなく、阿州山崎村から大阪へ出て、堂島新地一丁目医師藤 田幸庵の婿養子となり、医書儒書を読み、西洋医学執心の余り、 次第に書籍を買集めて天文、地理、宗教に及んだのである。彼 は大阪表で布告せられた御制禁耶蘇書類三十八部中九部十五冊・ 燃犀録稿一冊・踏絵写四枚の外に、尚「紛敷書類」九部十二冊 を蔵してゐたといへば、当時の国法にては到底免れ難き犯罪者 ではあるが、制禁書類といひ、紛敷書類といひ、質は必ずしも 耶蘇教関係の書類のみで無いことに注意すべきである。前記伊 良子屋桂蔵が河内平岡の神官亡水走飛騨の処で暫く厄介になつ てゐる中、飛騨の使として顕蔵に面会し、彼が夥しく珍書を貯 へ、耶蘇教書類を所持するのみならず、燃犀録稿といふ著述ま であることを知り、之を白洲で喋舌つたため、顕蔵は縲紲の恥 を受けたのである。


「浮世の有様 文政十二年切支丹始末」その7


「大塩平八郎」目次/ その45/その47

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