評定所の内
意伺書
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文政十一年十月一件は評定所の手に移り、翌五月右一座より一
件吟味仕直につき老中へ内意を伺つた書中に、水野軍記の死亡
天帝画像の焼失により宗門伝来の始末明ならず、「異術を以奇
怪之儀を仕成、人之耳目を驚候は、必切支丹宗門に限候儀にも
有之間敷、」其上さの長崎にて踏絵を踏み、絵姿を見てより信
心愈増したりといふは、踏絵の無効を示すも同然、「旁以容易
に切支丹宗門修候ものとは治定致兼候儀ニ可有御座処、掛リ見
込は全右宗門致修治候ものと相極、吟味詰候儀ニ御座候」とあ
るのは、流石に評定所の烱眼と敬服に堪へぬ、若し評定所の意
見の如く切支丹と治定し兼ぬるとすれば、一体の吟味を遣直さ
ねばならぬ、評定所は此点に就いて幕府の内慮を伺つた処、幕
府の沙汰には、評議の趣一応は尤なれど、今更吟味を仕直し、
切支丹宗門にあらずの取扱を為さば、却て世上の疑念を増し、
御制禁の弛廃にもなるべしといふ理由の下に、掛リ見込の如く
切支丹宗門と差極めて、お仕置当並びに類族共の取斗を評議せ
よ、但し踏絵一件は全然吟味書中より削除すべしとあつた。
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文政十一年十月一件は評定所の手に移り、翌十二年五月右一
座より一件吟味仕直につき老中へ内意を伺つた書中に、水野軍
記の死亡天帝画像の焼失により宗門伝来の始末明白ならず、
「異術を以奇怪之儀を仕成、人之耳目を驚候は、必切支丹宗門
に限侯儀にも有之間敷」、その上さの長崎にて踏絵を踏み、絵
姿を見てより信心悪愈増したりといふは、踏絵の無効を示すも
同然、「旁以容易に切支丹宗門修候ものとは治定致兼候儀ニ可
有御座処掛リ見込は全右宗門致修治候ものと相極、吟味詰候儀
ニ御座候」とあるのは、流石に評定所の見識と敬服に堪へぬ。
若し評定所の意見の如く切支丹と治定し兼ねるとすれば、一体
の吟味を遣直さねばならぬ。評定所はこの点に就いて幕府の内
慮を伺つた処、幕府の沙汰には、評議の趣一応は尤なれど、今
更吟味を仕直し、切支丹宗門にあらずの取扱を為さば、却つて
世上の疑念を増し、御制禁の弛廃にもなるべしといふ理由の下
に、掛リ見込の如く切支丹宗門と差極めて、お仕置当並びに類
族共の取計を評議せよ、但し踏絵一件は全然吟味書中より削除
すべしとあつた。
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