Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.7.25

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その47

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第一章 与力
  二 三大功績 下 (18)
 改 訂 版


評定所の内
意伺書

文政十一年十月一件は評定所の手に移り、翌五月右一座より一 件吟味仕直につき老中へ内意を伺つた書中に、水野軍記の死亡 天帝画像の焼失により宗門伝来の始末明ならず、「異術を以奇 怪之儀を仕成、人之耳目を驚候は、必切支丹宗門に限候儀にも 有之間敷、」其上さの長崎にて踏絵を踏み、絵姿を見てより信 心愈増したりといふは、踏絵の無効を示すも同然、「旁以容易 に切支丹宗門修候ものとは治定致兼候儀ニ可有御座処、掛リ見 込は全右宗門致修治候ものと相極、吟味詰候儀ニ御座候」とあ るのは、流石に評定所の烱眼と敬服に堪へぬ、若し評定所の意 見の如く切支丹と治定し兼ぬるとすれば、一体の吟味を遣直さ ねばならぬ、評定所は此点に就いて幕府の内慮を伺つた処、幕 府の沙汰には、評議の趣一応は尤なれど、今更吟味を仕直し、 切支丹宗門にあらずの取扱を為さば、却て世上の疑念を増し、 御制禁の弛廃にもなるべしといふ理由の下に、掛リ見込の如く 切支丹宗門と差極めて、お仕置当並びに類族共の取斗を評議せ よ、但し踏絵一件は全然吟味書中より削除すべしとあつた。

 文政十一年十月一件は評定所の手に移り、翌十二年五月右一 座より一件吟味仕直につき老中へ内意を伺つた書中に、水野軍 記の死亡天帝画像の焼失により宗門伝来の始末明白ならず、 「異術を以奇怪之儀を仕成、人之耳目を驚候は、必切支丹宗門 に限侯儀にも有之間敷」、その上さの長崎にて踏絵を踏み、絵 姿を見てより信心悪愈増したりといふは、踏絵の無効を示すも 同然、「旁以容易に切支丹宗門修候ものとは治定致兼候儀ニ可 有御座処掛リ見込は全右宗門致修治候ものと相極、吟味詰候儀 ニ御座候」とあるのは、流石に評定所の見識と敬服に堪へぬ。 若し評定所の意見の如く切支丹と治定し兼ねるとすれば、一体 の吟味を遣直さねばならぬ。評定所はこの点に就いて幕府の内 慮を伺つた処、幕府の沙汰には、評議の趣一応は尤なれど、今 更吟味を仕直し、切支丹宗門にあらずの取扱を為さば、却つて 世上の疑念を増し、御制禁の弛廃にもなるべしといふ理由の下 に、掛リ見込の如く切支丹宗門と差極めて、お仕置当並びに類 族共の取計を評議せよ、但し踏絵一件は全然吟味書中より削除 すべしとあつた。


「浮世の有様 文政十二年切支丹始末」その7


「大塩平八郎」目次/ その46/その48

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