Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.11.14

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その65

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第二章 学者
  三 学説 (2)
 改 訂 版

致良知  

中斎の所謂太は仏家枯寂の空と違ひ、消極的で無くて積極的で ある、「夫れ太は一霊明のみ、是霊明は即ち昼夜に通じ、古今 に亘りて滅せざるの明なり」とあつて、決して心的作用の停止を 太虚と言ふのでは無い、中斎の説に従へば、良知とは各自の方寸 の中に宿つて居る天地の徳を指し、各人生れながら之を備へ、唯 邪念あるが為に明らかならぬことがある、真の良知は乃ち太虚の 霊にして、天を生じ、地を生じ、仁を生じ、義を生じ、礼智を生 じ、啻に道徳の淵源たるのみでなく、天地万物を生ずるものとし て居る、然らば太虚とは心境の無垢にして清澄なる状態をいひ、 良知とはその中善悪を識別せる自然の霊明を指し、太虚と良知と は畢竟同物にして異名、帰太虚を説くは取も直さず致良知を説く のである、彼は知覚・聞見・情識・意見の四知を以て良知を致す に甚だ害ありとし、学者たる者四知の邪障を掃つて宜しく此一知 を明にしなくてはならぬ、聖人は先天の天理即ち良知を全うする が故に聖人である、「良知は武王の所謂人は万物の霊なりの霊に して、知覚・聞見・情識・意見の知識に非ざるなり。故に若し能 く後天の形気を忘れ、真に志を立てなば、即ち先天の霊心にあり て照照明明、未だ嘗て泯びざるなり、黙して之を識る可なり、而 して真に其良知を致さば、即ち四書六経の言言語語皆其用を為す や断じて疑なし、可もなく不可もなく、適もなく、莫もなく、惟 義是従ふの妙用神通自然に手に入る」、と郡山藩士藤川晴貞に与 へた書中に見える。

 中斎の所謂太は仏家枯寂の空と違ひ、消極的で無くて積極的                     コノ である。「夫れ太は一霊明のみ、是霊明は即ち昼夜に通じ、古 今に亙りて滅せざるの明なり」とあつて、決して心的作用の停止 を太虚と言ふのでは無い。彼の説に従へば、良知とは各自の方寸 の中に宿つて居る天地の徳を指し、各人生れながら之を備へ、唯 邪念あるが為に明らかならぬことがあるのみである。真の良知は 乃ち太虚の霊にして、天を生じ、地を生じ、仁を生じ、義を生じ、 礼智を生じ、啻に道徳の淵源たるのみでなく、天地万物を生ずる ものとして居る。然らば太虚とは心境の無垢にして清澄なる状態 をいひ、良知とはその中善悪を識別せる自然の霊明を指し、太虚 と良知とは畢竟同物にして異名、帰太虚を説くは取も直さず致良 知を説くのである。彼は知覚・聞見・情識・意見の四知を以て良 知を致すに甚だ害ありとし、学者たる者四知の邪障を掃つて宜し くこの一知を明らかにしなくてはならぬ、聖人は先天の天理即ち 良知を全うするが故に聖人である。「良知は武王の所謂人は万物 の霊なりの霊にして、知覚・聞見・情識・意見の知識に非ざるな り。故に若し能く後天の形気を忘れ、真に志を立てなば、則ち先 天の霊心にありて照照明明、未だ嘗て泯びず。黙して之を識る可 きなり。而して真にその良知を致さば、即ち四書六経の言言語語 皆その用を為すや断じて疑なし、可もなく、不可もなく、適もな く、莫もなく、惟義是従ふの妙用神通自然に手に入る」と郡山藩 士藤川晴貞に与へた書中に見える。


井上哲次郎「大塩中斎」 その23


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