Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.12.12

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その69

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第二章 学者
  三 学説 (6)
 改 訂 版

知行合一 

徳川氏初世の学者熊沢蕃山・野中兼山・貝原益軒の如きは皆躬 行実践を主眼としてゐる、後世の学者は或は身を終るまで経義 の解釈に齷齪し、或は半世を詩酒の間に放浪する者多く、仮令 其解釈は微を析き精に入り、其の詩文は鏘然として金玉の響を 発するにもせよ、躬行実践の点に至りては遥に先儒に及ばなか つた、独り中斎は「書を読まば則ち心得躬行を貴ぶ」といつて、 詞章訓話を旨としてをる当時の儒家者流と全く反対の方面に出 た、彼は飽迄も知行合一を方針として進み、其陽明先生を祭る の文に「鳴呼先生、豪傑にして聖賢、武略にして文章」といひ、 豪傑と聖賢と、武略と文章と、併せ有するを以て理想としてゐ たので、箚記上巻の終に王学諸子鄒東廓・歐陽南野・羅念等 の事功を挙げたのを或人の詰れるに対し、是等の人々の功業節 義の道徳から出たを示す為で、学と道とを外にしてはいかで功 義節義の類を語らうぞ、と答へてゐるのも此趣意に外ならぬ、 要するに中斎は学問の目的を以て私欲を去り、道徳を明らかに し、成敗利鈍を眼中に置かずして邁進するにありとし、詩文考 証を末なりとしたのであつた、されば中斎は己を持するに謹厳 であるのみならず、家族門人に対しても亦極て厳格であつた、 酒は飲めども少量に止り、碁将棋類は見向もせず、書籍の有場 所は一定し、何番の本箱の何辺に何々の書籍があるから持参せ よと書生にいへば、其言葉の通に屹度あるし、格之助は出入共 に必ず慇懃に養父に告げ、養父の許に来客があれば、許を得ざ る内は閾の中へ入つて挨拶を仕無かつたといふ、門人に対する 厳格さは下文洗心洞入学盟誓の條を見よ。

 徳川氏初世の学者熊沢蕃山・野中兼山・貝原益軒の如きは皆 躬行実践を主眼としてゐる。後世の学者は或は身を終るまで経 義の解釈に齷齪し、或は半世を詩酒の間に放浪する者多く、仮 令その解釈は微を析き精に入り、その詩文は鏘然として金玉の 響を発するにもせよ、躬行実践の点に至りては遥に先儒に及ば なかつた。独り中斎は「書を読まば則ち心得躬行を貴ぶ」とい つて、詞章訓話を旨として居る当時の儒家者流と全く反対の方 面に出た。彼は飽迄も知行合一を方針として進み、陽明先生を 祭るの文に「鳴呼先生、豪傑にして聖賢、武略にして文章」と いひ、豪傑と聖賢と、武略と文章と、併せ有するを以て理想と してゐたので、箚記上巻の終に王学諸子鄒東廓・歐陽南野・羅 念等の事功を挙げたのを或人の詰れるに対し、是等の人々の 功業節義の道徳から出たを示す為で、学と道とを外にしてはい かで功義節義の類を語らうぞ、と答へてゐるのもこの趣意に外 ならぬ。要するに中斎は学問の目的を以て私欲を去り、道徳を 明らかにし、成敗利鈍を眼中に置かずして邁進するにありとし、 詩文考証を末なりとしたのであつた。されば中斎は己を持する に謹厳であるのみならず、家族門人に対しても亦極めて厳格で あつた。酒は飲めども少量に止まり、碁将棋類は見向もせず、 書籍の有場所は一定し、何番の本箱の何辺に何々の書籍がある から持参せよと書生にいへば、言葉の通に屹度あつたといふ。 門人に対する厳格さは下文洗心洞入学盟誓の條を見よ。


井上哲次郎「大塩中斎」 その25


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