学則
孔孟学
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洗心洞学名学則附録(二〇)は同塾の主義綱領を説明して居る、
之によると中斎は陽明学を標榜せず、我学は只仁を求むるに在
るばかりで別に学名は無い、強ひて名を付くれば孔孟学とでも
いはう、「我学は大学・中庸・論語を治むるなり、孟子は便ち
是れ孟氏の書なり、而して六経皆亦孔子刪定の書なり、故に強
いて之を名けて孔孟学といふなり。中略四書六経の説く所多端
なりと雖も、仁の功用遠大なりと雖も、その徳の至其道の要は
只孝に在るのみ。故に我学孝の一字を以て四書六経の理義を貫
く、力固より及ばず、識固より足らず、然れども諸を心に求め
て真に心中の埋を窮め、将に死を以て斯文に従事せんとす、故
に直ちに孔孟学と曰ふ」と説明し、中斎自ら孔孟学の三字を刻
した印を使用して居つた、之は幾分朱子学に対する遠慮と見え
る、
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洗心洞学名学則は同塾の主義綱領を説明して居る。中斎は陽明
学を標榜せず、我が学は只仁を求むるに在り。故に別に学名は
無いが、強ひて名を付ければ孔孟学といはうといひ、「我が学
は大学・中庸・論語を治むるなり、大学・中庸・論語は便ち是
れ孔氏の書なり。孟子を治むるなり。孟子は便ち是れ孟氏の書
なり。而して六経皆亦孔子刪定の書なり。故に強ひて之を名け
て孔孟学といふなり。……四書六経の説く所多端なりと雖も、
仁の功用遠大なりと雖も、その徳の至その道の要は只孝に在る
のみ。故に我が学孝の一字を以て四書六経の理義を貫く。力固
コレ
より及ばず、識固より足らず、然れども諸を心に求めて真に心
中の埋を窮め、将に死を以て斯文に従事せんとす。故に直ちに
孔孟学と曰ふ」と説明し、中斎自ら孔孟学の三字を刻した印を
使用して居つた。之は幾分朱子学に対する遠慮と見える。
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