Я[大塩の乱 資料館]Я
2005.12.19

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その71

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第二章 学者
  四 授業 (2)
 改 訂 版

学則

孔孟学  

洗心洞学名学則附録(二〇)は同塾の主義綱領を説明して居る、 之によると中斎は陽明学を標榜せず、我学は只仁を求むるに在 るばかりで別に学名は無い、強ひて名を付くれば孔孟学とでも いはう、「我学は大学・中庸・論語を治むるなり、孟子は便ち 是れ孟氏の書なり、而して六経皆亦孔子刪定の書なり、故に強 いて之を名けて孔孟学といふなり。中略四書六経の説く所多端 なりと雖も、仁の功用遠大なりと雖も、その徳の至其道の要は 只孝に在るのみ。故に我学孝の一字を以て四書六経の理義を貫 く、力固より及ばず、識固より足らず、然れども諸を心に求め て真に心中の埋を窮め、将に死を以て斯文に従事せんとす、故 に直ちに孔孟学と曰ふ」と説明し、中斎自ら孔孟学の三字を刻 した印を使用して居つた、之は幾分朱子学に対する遠慮と見え る、

洗心洞学名学則は同塾の主義綱領を説明して居る。中斎は陽明 学を標榜せず、我が学は只仁を求むるに在り。故に別に学名は 無いが、強ひて名を付ければ孔孟学といはうといひ、「我が学 は大学・中庸・論語を治むるなり、大学・中庸・論語は便ち是 れ孔氏の書なり。孟子を治むるなり。孟子は便ち是れ孟氏の書 なり。而して六経皆亦孔子刪定の書なり。故に強ひて之を名け て孔孟学といふなり。……四書六経の説く所多端なりと雖も、 仁の功用遠大なりと雖も、その徳の至その道の要は只孝に在る のみ。故に我が学孝の一字を以て四書六経の理義を貫く。力固 コレ より及ばず、識固より足らず、然れども諸を心に求めて真に心 中の埋を窮め、将に死を以て斯文に従事せんとす。故に直ちに 孔孟学と曰ふ」と説明し、中斎自ら孔孟学の三字を刻した印を 使用して居つた。之は幾分朱子学に対する遠慮と見える。


井上哲次郎「大塩中斎」 その18


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