Я[大塩の乱 資料館]Я
2006.1.23

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その78

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第二章 学者
  五 先輩交友 (4)
 改 訂 版


代官根本善
左衛門風聞
書










代官江川太
郎左衛門届
書

勿論一場の談話で年月さへも明白で無いが、代官根本善左衛門の 風聞書と対照すると、何様も事実らしく思はれる、風聞書には林 家の無尽に白井孝右衛門は五百両、木村司馬之助は三百両をかけ、 出金の節林家々来の表印大学頭の裏印ある証文を平八郎より渡し、 一両年は割戻しがあつたが、其後右証文を平八郎の許へ引上げ、 更に橋本忠兵衛名印の証文と取替へたとある、天保八年三月即ち                       ツカハラ 大塩乱の翌月豆州韮山の代官江川太郎左衛門から、同国塚原新田 地内一里塚り傍の林の中に、大加賀守殿大久保加賀守忠真脇中務 少輔殿脇坂中務大輔安董家来中大塩平八郎と認めてある白木の箱 を打壊しあり、附近には平八郎から御老中宛・林大学頭宛の書状、 其他の書類が雨露に濡れて散乱してをつたといふ届書があつて、 其目録        覚  一、諸書物目録             一 通  一、水戸殿御用人宛大塩平八郎     一 封     右は雨露に封口放れ有之  一 御老中方宛右同人         一 封  一、 右同  一、書状類               拾壱通  一、証文並書付類          廿八通三冊  一、諸書物帳面類            九 冊  一、掛物                一 幅    右は荷物切解逃去候無宿清蔵差押、取上候分、 を読むと、文中の証文帳面類の文字は頗る注意を牽く、或は平八 郎が挙兵に際し、林家御用金に関する一切の書類を取纏めて返送 したのでは無からうか、甲子夜話三篇によると、閣老宛の書状は 自筆で用金の収支と自己の陳情とであつたとあるが、水戸殿用人 宛のものは何であつたか一言もそれに及んで居らぬ。

                   


相蘇一弘「大塩の林家調金をめぐって


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