Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.7.20訂正
2000.6.10

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「咬 菜 秘 記」その49

坂本鉉之助

『旧幕府 3巻8号』(旧幕府雑誌社) 1899.8 より


◇禁転載◇

適宜、句読点・改行をいれています。


〔塾生の草履のぬぎ方〕

平八郎が隠謀は余程前より萌ある事にて、心も惑乱せしに哉。

浪華画工文坡といふもの(是に文坡と書しは貞が聴誤りにて文坡にあらず。十一屋五郎兵衛と云ふ天文方の御用を承る町人なり。間五郎兵衞といふものなりとぞ。頭書に書入れあり)、兼て大塩へ出入せしが、平八郎常に文坡にいふには、

と毎度懇々頼む故、前年の秋頃にや、書生塾へ文坡か行たりしに、書生の草履のぬき方甚だ乱足にて、片足つゝ散乱してある故、箇様の事は先生の平常(殊に)やかましく云るゝ事なり。全く先生の目の行届かぬことなるべしと思ひて、其事を平八郎へ告たれば、殊の外喜びて、 能云て呉たり一向不存事なり、忝なし と(礼を云たり。其後三十日計過ぎて平八郎方へ行て書生塾へ行き見れば、以前の如く草履悉く乱足なり。文坡其時思ふに、是は合点の行かぬことなり。先生の懇々頼まるゝ故乱足の事を告げたれは、殊の外忝なしと)云て今に我言を用られす、乱足は以前に替る事なし。是にては心と言と違ふたる人なり。最早親しくはせられぬと思ひ、(夫より再び)大塩へ行ざりしは半年計以前の事なり、文坡が話しの由を(尼)崎又右衛門の話なり。

元来平八郎は三礼の事を能く云て、今日の礼義は殊に厳格にて、米倉倬次郎が塾にありし節抔は、必 夜中何時となく一度つヽ塾中を見廻り、其時は書生直に起上りて袴を付、先生へ辞義を致す事なり。若 書生の寝様不行義なれば、殊に怒て厳敷叱る由なり。

去らば乱足などは殊更にやかましく云へき筈なるを、其儘に聞捨に為置きたるは、内心に深く謀りしことありて心迷乱せし事に哉。


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