Я[大塩の乱 資料館]Я
2006.2.20

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大 塩 平 八 郎 』 その84

幸田成友著(1873〜1954)

東亜堂書房 1910

◇禁転載◇


 第二章 学者
  五 先輩交友 (10)
 改 訂 版

篠崎小竹 

 篠崎小竹 山陽をいへば直ちに小竹を聯想する。小竹は篠崎三島の 養子で通称を長左衛門、名を弼、字を承弼といひ、「儒中の鴻池」と 称せられた、小竹と山陽とは別懇の間柄である故、小竹中斎間に交通 があつたことは疑ない、乱後小竹が坂本鉉之助に向ひ、中斎の学問筋 は己が心より思付くことを皆良知より出づると思ひ、次第に驕慢に傾 いたは、丁度某富商が茶道に耽り、段々高価なる茶器を求め、名物の 茶碗一箇を抱いて終に其家を滅したやうなものだと話した時、鉉之助 が富商の説は如何にも御尤、併しそれに就いては小竹子も少しく罪あ り、其子細は中斎とは年来学問上の御交ありながら、彼が申す説を是 非邪正の批判教諭もなく、その儘に避けて通されたはいかゞ。浪華に て小竹先生すら此の如くなれば、他に頭を押へるものはなしと、驕慢 の念愈々増長せしなるべし、さすれば中斎の驕慢を増長させたる罪は、 小竹子遁れ難かるべしと言ひ、互に一笑したと咬菜秘記に見える。

 篠崎小竹 山陽をいへば直ちに小竹を聯想する。小竹は篠崎三島の 養子、通称を長左衛門、名を弼、字を承弼といひ、「儒中の鴻池」と 称せられた。乱後小竹が坂本鉉之助に向ひ、中斎の学問筋は己が心よ り思付くことを皆良知より出づると思ひ、次第に驕慢に傾いたは、丁 度某富商が茶道に耽り、段々高価な茶器を求め、名物の茶碗一箇を抱 いて終に其家を滅したやうなものだと話した時、鉉之助が富商の説は 如何にも御尤、併しそれに就いては小竹子も少しく罪あり。その子細 は中斎とは年来学問上の御交ありながら、彼が申す説を是非邪正の批 判教諭もなく、その儘に避けて通されたはいかゞ、浪華にて小竹先生 すら此の如くなれば、他に頭を押へるものはなしと、驕慢の念愈々増 長せしなるべし。さすれば中斎の驕慢を増長させたる罪は、小竹子遁 れ難かるべしと言ひ、互に一笑したと咬菜秘記に見える。


坂本鉉之助「咬菜秘記」その49


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