Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.3.18

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その16

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第一 市街の発展
  二 大 阪 (5)
管理人註

地子銀免除

 寛永十一年は大阪にとつて忘るべからざる年です。三代 将軍家光は同年閏七月大阪に立寄り、三郷一万一千百八十 三石余の地子銀を免除した。地子は今の地租に相当するも ので、八ツ取といふから石高の十分の八を取る。一万一千 百八十三石余の十分の八は八千九百四十六石余、一石を銀 二十目に換算すると百七十八貫九百三十四匁余となる。毎 年上納しなければならぬこの地子銀を免除されたのですか ら、市民にとつては莫大な恩恵です。そこで市民はこの恩 恵を永遠に記念するために何か宜い方法はないかと百方思 案した末、釣鐘を作り釣鐘屋敷を建て、時刻を報ずること とした。鐘声を聞く毎に追憶を新にするといふ意味で、爾 来明治三年に至るまで約二百四十年の久しい間、日々三郷 市中に段々たる鐘声を伝へたものです。私が大阪にゐる頃、 この釣鐘は府立博物場の庭に雨晒しになつてゐましたが、 そんな無情の取扱をするものではないと考ヘます。今も上 町に釣鐘町の名が残つてゐますが、徳川時代の大阪絵図を 見ると、町の南側に釣鐘屋敷の位置が歴然とあります。

 


「江戸と大阪」目次/その15/その17

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ