Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.3.19

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その17

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第一 市街の発展
  二 大 阪 (6)
管理人註

明暦の大阪 絵図

 現存してゐる刊行大阪絵図中一番古いものは明暦元年(一六五 五)の「新板摂津大坂東西南北町嶋之図」です。或る人はこれを 偽作図とし、数ケ條の理由を挙げて居られるが、つまり明暦当時 の真の大阪の状態と明暦図上に見ゆる状態と合致せぬといふ点に 帰する。然しながら論者は明暦図を偽作と論断し得る程、それほ ど明暦の大阪の真状態を如何なる材料によつて知られたか。何橋 何町は明暦時代になしといつても、その考証の根拠が明暦後何十 年の書類であつたり、或はまた史的価値の乏しい俗書であつては 薄弱ではないか。何丁目の数へ方は東より西へ行くのが順当であ るに拘はらず、明暦図は逆だから、これも偽作の一証だとある。 なる程明暦以後の図に見える何丁目の数へ方は、論者のいふ通り であるが、明暦若しくは明暦以前においては論者の所謂逆の数へ 方であったかも知れぬ。地図の内容は前版を襲ふことが多いから、 内容が刊年より古いことは随分ある。論者は少くとも明暦当時の 実際の数へ方が所謂順であつたといふ点を立証しなければならぬ のに、一言もそれに及んで居らぬ。更に自分は論者に対し、本図 には若干これに改訂を加へた明暦三年版・天和三年版・貞享四年 版等がある。偽作図なら何の必要があつてかやうに数種の類版が あるかと反問したいのである。繰返していふが刊行せられた地図 には内容と刊年と一致せぬ場合が随分ある。明暦図が地図として 可成能く出来てゐること及びその奥書の文句から考へても、京都 や江戸に寛永刊行の絵図のあることから類推しても、本図よりよ り古い大阪図があつて、本図はその影響を受けて居るのではない かと思ふ。

 


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