Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.3.20

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その18

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第一 市街の発展
  二 大 阪 (7)
管理人註

淀川 貞享元禄の 改修による 新開地

 大阪は瀬戸内海を経て広く西方諸国と交通し、また淀川によつ て全国の中心京都と密接の聯絡を保つた。淀川あるために大阪の 蒙つた利益が莫大であると共に、土砂沈滞河道壅塞による災害も 亦著しいものであつた。従つて淀川本支流に対する工事は仁徳天 皇以来幾十百回となく繰返され、徳川時代に至りまた大工事を見 るに至つた。工事の担任者は河村瑞賢、時期は第一回が貞享元年 から同四年まで(一六八四―八七)、第二回が元禄十一二年(一 六九七、九八)、範囲は淀川・宇治川・神崎川・中津川・伝法川・ 大和川・木津川・大阪市内諸川、一口にいへば淀川本支流に及ん だ。さうしてこれらの工事中直接大阪に関係した著しい分を挙げ ると、(一)淀川の川口を一直線に掘割つたこと――(元禄十一 年、この新川を安治川と命名す)、(二)堂島川曾根崎川を浚渫 したこと、(三)堀江の地を東西に縦貫する堀江川を掘り、道頓 堀の下流及び古川富島を修理したこと、(四)市内諸川の水門を       ガンギ 撤し、両岸に岸岐を作つたこと等で、(一)の結果は安治川新地 九町を、(二)の結果は堂島新地十一町を、(三)の結果は堀江 新地二十四町・幸町新地五町・古川新地二町・富島新地二町を得、 更に(一)(三)によつて元緑以来安治木津両川口に追々新田の 開発を見るに至つた。(四)の結果平時の昇降を便ならしむるの みか、増水の際陸地と平準面に至るまでの包容水量を著しく増大 し、これによつて漲溢の水害を除いたことは予想以上である。  【図略 大和川の附替】

 


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