Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.3.29

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その22

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第二 市 制 (2)管理人註

月番非番 内寄合 任期 大岡越前守

 町奉行は一ケ月交代に月番となり、非番となる。非番に当ると          クヾリド 奉行所の大門を閉ぢ潜戸のみを開く。月番に当る町奉行は表門を 八文字に開き、その月の新しい公事訴訟を受ける。それが月番非 番の相違で、月番だから忙しい、非番だから楽だといふ訳は決し てない。すべて町奉行には単独行為が許されてない。例へば一方 の町奉行が或る伺書を老中へ差出さうとすれば、予めその文案を 他の町奉行に示し、その同意を求め、「拙者儀何の存寄無之候」 とか、「異議無之候」とかいふ回答を得てから老中へ差出す。 その時は勿論両町奉行の連名です。それから内寄合といつて、月 番の役宅で両町奉行が対談協議することもある。決して書面の交 渉のみで済ました訳ではない。  町奉行に任期は無い。一生町奉行を勤めてゐたものもあれば、 一二年で交代した者もある。極端の例をいへば、任命されながら 赴任しない内に交代した大阪町奉行もある。幕府時代には何役を 無事に勤めれば、屹度何役に転ずるといふやうな、転任昇進の順                  ヒサスケ 序が確定してゐないから、曾我丹波守古祐及びその子丹波守近祐 のやうに、親子相次いで大阪町奉行になつたものもあれば、遠山 左衛門尉景元のやうに江戸町奉行に再任したものもある。再任の 例は決して珍らしくない。然し何といつても一番名高いのは江戸 の南町奉行大岡越前守忠相である。八代将軍吉宗は徳川氏中興の 祖と崇められてゐますが、その仕事の何分の一はたしかに忠相の 仕事であるといひ得るでせう。忠相は町奉行から寺社奉行に転じ、 逐に大名に取立てられてゐます。町奉行の出身で大名に取立てら れたのは大岡越前守一人です。

 


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