Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.4.8

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その25

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第二 市 制 (5)管理人註

手先 町奉行所の 経費

 三廻の「捕物并に調もの」は案外行届いてゐる。少数の人数 でそこまで行届いたのは手先を使用したからで、その手先の身分 は「是迄深川其外端々に而如何之渡世致し候料理茶屋共方にて、 給金差出、出方のもの抱置」とあるから、市中の隅々にある売女 屋―公許を得ない―の男衆で、給金は一ケ月二両二分位から一両 位迄、人数は合計百五十人程ゐたといふ。これは天保十三年十二 月、北町奉行遠山左衛門尉南町奉行鳥居甲斐守連名で老中水野越 前守へ差出した書付にある。毒を以て毒を制する遣方は昔からあ つた。有效であり、さうして弊害もあったに達ひない。大阪では 四ケ所といつて鳶田・千日・天満・天王寺の四ケ所に一廓を構へ てゐる一種の階級を手先に使用した。  町奉行所の経費について大阪では一ケ所銀五十貫目都合百貫目 と明和八年(一七七一)に規定され、江戸では両役所で金弐千両 と宝暦五年(一七五五)に規定されてゐます。但しこれは御定高 で、臨時の入用は稟議の上受取つた。その後御定高も増加したと 見え、天保十二年・同十三年両番所御入用金并闕所金遣払高寄書 を見ると左の如くなつてゐます。 天保十二年           天保十三年
   金 永  銀  金 永  銀
 
両番所月並御入用
南御役所御定高
同  臨時御入用
北御役所御定高
同  臨時御入用
南御役所闕所金遣払高
北御役所同断
     両 分
   三六.三
一、三七九.〇
一、七九七.〇
一、三六二.〇
一、五〇〇.二
  七九六・一
  八五二・三
  文
 七〇.八

一二八.二

一一九.八


  貫    匁
二七、二四一.四七






    両 分
  三六.〇
一、三七九.〇
一、六一八.三
一、三六二.〇
一、六一六.二
  八五七.〇
  九四七.〇
   
一四七.〇

一五六.七

一七三.九
 三三.四
一四六.七
  貫    匁
三九、一八〇.七二






 

七、七二四・二

 六八.八

二七、二四一.四七

七、八一六.三
(?)
二一七.六
  貫    匁
三九、一八〇.七二
銀を金に換算し、天保十二年分合金八千百七十八両二分と永九十 三文三歩、同十三年分合金八千四百七十両と永八十七文六歩とあ ります。

 


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