毎組の取締
名主の職務
町会所
名主の住宅
給料
袴摺料
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今大阪城のある地点に石山別院を置いた時から始まるといつて宜
最初は毎組二三人づゝ当番となり、仲間を代表しましたが、寛
政二年(一七九〇)に至り、肝煎四十八名を任命して組中の取締
に当らしめ、天保二年世話掛リ三十二人を置き、肝煎を廃した。
ツトメコシ
世話掛リは任期一年で、年末に勤越即ち勤続を申渡す例です。そ
コグチ
れから南北小口年番といふ名称が御触の末によく出て来ますが、
これは一番組二番組を北の小口、四番組を南の小口といひ、その
組の名主が年番で先づ御触を承り、他組に伝達する。町奉行所や
町年寄役所に接近して居るため、便宜上かやうな処置を取つたの
でせう。
名主の職務は(一)御触申渡の伝達、(二)人別改即ち今日の
戸籍調査、(三)火の元の取締、(四)訴訟事件の和解、(五)
家屋敷の買受・譲渡・その他諸証文の案紙を検閲すること等で、
この段は大阪の町年寄も同様です。
大阪の町会所は大抵路次の中にある。町年寄はそれ\゛/家業
を営んでゐるのですから、自然その住宅と町務を執る場所とは別
ですが、江戸の名主は玄関構で、住宅即ち役所です。当座の喧嘩
口論の類は大抵名主の玄関で決定してしまふ。名主が勝手にする
のではなくて、これは町奉行所から認められてゐる。金銀出入そ
の他諸願に至るまで、名主の奥印がなければ町奉行所で取上げぬ
規定で、原被両告が奉行所へ出頭する場合には名主が差添人とな
る。総じて幕府時代の民事訴訟は和解を主とし、和解が調はぬ場
合に始めて曲直を判決する。その和解を取扱ふのが名主の務でし
た。
名主は名主専門で、従つて支配町々から給料を貰ふ。町外れの
名主には一ケ年五六両の給料に過ぎぬものもあるけれど、特に多
いのは三百両に上り、平均して百両以下七八拾両位である。之に
反し、大阪の町年寄は自分の家業を営むことを許されてゐるから、
給料といふものはない。袴摺料として若干の銀子を受納するばか
りだ。町年寄になれば袴を穿く場合が多い、袴が摺れるからその
損料を町内から差上げるといふ意味です。尚町年寄は一役を免ぜ
られ、また町内に家屋敷の売買・譲替・養子・元服・祝言等があ
ると若干の祝儀銀を貰ひますが、これらの祝儀銀は江戸において
も名主の所得でした。
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