Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.4.13

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その30

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第二 市 制 (10)管理人註

毎組の取締 名主の職務 町会所 名主の住宅 給料 袴摺料

今大阪城のある地点に石山別院を置いた時から始まるといつて宜  最初は毎組二三人づゝ当番となり、仲間を代表しましたが、寛 政二年(一七九〇)に至り、肝煎四十八名を任命して組中の取締 に当らしめ、天保二年世話掛三十二人を置き、肝煎を廃した。               ツトメコシ 世話掛は任期一年で、年末に勤越即ち勤続を申渡す例です。そ      コグチ れから南北小口年番といふ名称が御触の末によく出て来ますが、 これは一番組二番組を北の小口、四番組を南の小口といひ、その 組の名主が年番で先づ御触を承り、他組に伝達する。町奉行所や 町年寄役所に接近して居るため、便宜上かやうな処置を取つたの でせう。  名主の職務は(一)御触申渡の伝達、(二)人別改即ち今日の 戸籍調査、(三)火の元の取締、(四)訴訟事件の和解、(五) 家屋敷の買受・譲渡・その他諸証文の案紙を検閲すること等で、 この段は大阪の町年寄も同様です。  大阪の町会所は大抵路次の中にある。町年寄はそれ\゛/家業 を営んでゐるのですから、自然その住宅と町務を執る場所とは別 ですが、江戸の名主は玄関構で、住宅即ち役所です。当座の喧嘩 口論の類は大抵名主の玄関で決定してしまふ。名主が勝手にする のではなくて、これは町奉行所から認められてゐる。金銀出入そ の他諸願に至るまで、名主の奥印がなければ町奉行所で取上げぬ 規定で、原被両告が奉行所へ出頭する場合には名主が差添人とな る。総じて幕府時代の民事訴訟は和解を主とし、和解が調はぬ場 合に始めて曲直を判決する。その和解を取扱ふのが名主の務でし た。  名主は名主専門で、従つて支配町々から給料を貰ふ。町外れの 名主には一ケ年五六両の給料に過ぎぬものもあるけれど、特に多 いのは三百両に上り、平均して百両以下七八拾両位である。之に 反し、大阪の町年寄は自分の家業を営むことを許されてゐるから、 給料といふものはない。袴摺料として若干の銀子を受納するばか りだ。町年寄になれば袴を穿く場合が多い、袴が摺れるからその 損料を町内から差上げるといふ意味です。尚町年寄は一役を免ぜ られ、また町内に家屋敷の売買・譲替・養子・元服・祝言等があ ると若干の祝儀銀を貰ひますが、これらの祝儀銀は江戸において も名主の所得でした。

 


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