江戸も大阪も町中の町人が順番に月行事となつて、名主又は町
年寄の仕事を補助する。江戸では名主を置かずに月行事に名主の
代理をさせた町々もあります。勿論無給ですが、別に有給の補助
員がある。それを町代といふ。大阪の町年寄は銘々自分の家業を
持つてゐるから、公務はどうしても町代まかせになる。江戸の町
代は書役ともいひ、最初は一人で数町を兼ねて居つたのが、後に
は一町毎に置くやうになり、その町から給料を得た。名主共が町
用を書役に一任する弊があつたので、再三町奉行から戒飭を加へ
てゐます。大阪では町代は町会所に出勤するが、江戸では自身番
に出勤した。江戸の自身番は大阪とは反対に常設で、梁間九尺・
桁行二間半・軒高さ一丈三尺といふのが通例の構造で、屋根の上
に梯子を設けて火の見としてゐた。本来目身番は町内に失火その
他の異変なきやう、交代で出勤警衛する町人の詰所でしたが、後
世は雇人で済ませた。自身番の外に木戸番がある、これは町境の
木戸を管理するために立てた小さな番屋で、そこに番人がゐる。
江戸大阪共通です。今日木戸の制は全く見られないが、以前は非
違を戒める一つの道具でした。両方の木戸を締めてしまへば盗賊
などは袋の鼠です。通例亥ノ刻(夜十時)に締めて、卯ノ刻(朝
六時)に開く。門を締めた後でも急用があつて、その旨を木戸番
にいへば、小門をあけてくれる。病気と出産とは何時起るか分ら
ぬから、医者と産婆とには二言といはずに門を開いたさうです。
その時に送リ拍子木といつて拍子木を人数だけ打つて次の木戸へ
知らせた。江戸で番太郎といふのはこの木戸番のことです。
【図 夜中の時廻 略】
家屋敷の売買等に際し、その町の髪結が名主以下と同様若干の
トコ デ
祝儀銀を受けてゐる。江戸で床を持つてゐる髪結を内床出床に分
つ。町内に家を借りて営業するのが内床、木戸際橋台等の空地に
床を構へて営業するのが出床です。大阪では両方を合せて床髪結
ダイバコ
といひ、それに対し、台箱を提げて町内を廻る髪結を町抱といひ
チヤウバ
ますが、江戸では内床出床から職人が出て丁場即ち営業範囲を廻
ります。いづれにしても営業の権利について喧しい規定があり、
従つて営業権が可成の金額で売買せられる。さういふ保護を受け
る冥加として大阪の髪結は牢屋敷に勤め、江戸の髪結は牢屋敷并
に町奉行所が類焼の恐ある時、早速駆付けて公用書類を持出すこ
とになつてゐた。
【図 髪結の風俗 略】
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