Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.4.14

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その31

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第二 市 制 (11)管理人註

月行事 町代 書役 自身番 木戸番 髪結

 江戸も大阪も町中の町人が順番に月行事となつて、名主又は町 年寄の仕事を補助する。江戸では名主を置かずに月行事に名主の 代理をさせた町々もあります。勿論無給ですが、別に有給の補助 員がある。それを町代といふ。大阪の町年寄は銘々自分の家業を 持つてゐるから、公務はどうしても町代まかせになる。江戸の町 代は書役ともいひ、最初は一人で数町を兼ねて居つたのが、後に は一町毎に置くやうになり、その町から給料を得た。名主共が町 用を書役に一任する弊があつたので、再三町奉行から戒飭を加へ てゐます。大阪では町代は町会所に出勤するが、江戸では自身番 に出勤した。江戸の自身番は大阪とは反対に常設で、梁間九尺・ 桁行二間半・軒高さ一丈三尺といふのが通例の構造で、屋根の上 に梯子を設けて火の見としてゐた。本来目身番は町内に失火その 他の異変なきやう、交代で出勤警衛する町人の詰所でしたが、後 世は雇人で済ませた。自身番の外に木戸番がある、これは町境の 木戸を管理するために立てた小さな番屋で、そこに番人がゐる。 江戸大阪共通です。今日木戸の制は全く見られないが、以前は非 違を戒める一つの道具でした。両方の木戸を締めてしまへば盗賊 などは袋の鼠です。通例亥ノ刻(夜十時)に締めて、卯ノ刻(朝 六時)に開く。門を締めた後でも急用があつて、その旨を木戸番 にいへば、小門をあけてくれる。病気と出産とは何時起るか分ら ぬから、医者と産婆とには二言といはずに門を開いたさうです。 その時に送拍子木といつて拍子木を人数だけ打つて次の木戸へ 知らせた。江戸で番太郎といふのはこの木戸番のことです。  【図 夜中の時廻 略】  家屋敷の売買等に際し、その町の髪結が名主以下と同様若干の              トコ                   デ 祝儀銀を受けてゐる。江戸で床を持つてゐる髪結を内床出床に分 つ。町内に家を借りて営業するのが内床、木戸際橋台等の空地に 床を構へて営業するのが出床です。大阪では両方を合せて床髪結           ダイバコ といひ、それに対し、台箱を提げて町内を廻る髪結を町抱といひ                    チヤウバ ますが、江戸では内床出床から職人が出て丁場即ち営業範囲を廻 ります。いづれにしても営業の権利について喧しい規定があり、 従つて営業権が可成の金額で売買せられる。さういふ保護を受け る冥加として大阪の髪結は牢屋敷に勤め、江戸の髪結は牢屋敷并 に町奉行所が類焼の恐ある時、早速駆付けて公用書類を持出すこ とになつてゐた。  【図 髪結の風俗 略】















戒飭
かいちょく


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