家持
家守
代判人
地借店借
町人と借家
人
家屋敷
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町人には権利もあれば義務もあり、借家人には構利もなければ
義務もないと前に述べた。町人とは厳密にいへば家屋敷を所有す
イヘモチ
る者即ち家持のことである。大阪では家持を(一)町内持(二)
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他町持(三)他国持の三つに分ける。(一)の町内持が江戸の居
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附地主に当ります。(二)(三)は持主が他町他国に住んでゐる
のですから、その町に住んでゐる何人かに依頼し、自己所有の家
屋敷を代表し、併せて家屋敷内にある地借店借人を支配せしめは
ヤモリ イヘヌシ
ければなりません。その依頼を受けた人が家守です。家主といふ
言葉は本来地主に対する言葉でせうが、或は家持と同じ意味に用
ひられ、或は家守と同じ意味に用ひられ、誤解を惹起し易いから
以下使用を避けます。家守は家持から若干の給料を貰ふ外、自分
の借りてゐる所の家賃を免除して貰つてゐる。江戸の家守の数は
寛政三年二万百十五人、給料は天明五年から寛政元年迄五ケ年を
平均して一ケ年五万一千二十七両余、無代で住んで居る借家の家
賃を合計すると一万三千六百九十九両余とあります。二口を合し
て六万四千両以上ですから、一人の収入は約三両といヘます。支
配下の地借店借入から差出す各種の礼銀も家守の収入です。尚家
守は必ずしも一家持の代表者でなく、数人の家持を代表する場合
もあり、奉行所の方でもこれを奨励した位です。併し余り広い家
屋敷を支配する家守になると、下家守を置き、懐手をしながら給
料を貪るもあり、家持に迷惑を掛けて私腹を肥すもあり、株式の
やうに家守の権利を売買するもあり、度々取締令が出てゐます。
家守や代判人(家持女名前の場合にこれを代表する者)は町人で
はありせんが、町人に準ずるものとして取扱はれ、町年寄の選挙、
跡名主の推薦に加りました。
タナ
町人以下は地借店借である。大阪では借屋・店かり・借地之者
と三つ並べた文句がある。借屋といつても店かりといつても同様
に思はれるが、区別してある所から考へると、店かりの店は古く
ミ セダナ
見世棚といつた棚で商売の利く家、借屋といへば単に住居用の家、
換言すれば表借屋裏借屋であらう。二つに分けても三つに分けて
も、要するに借家人だ。公式に町人を呼ぶ時は何町何丁目何屋何
兵衛、又は何町何丁目何屋何兵衛家守何屋何兵衛といふが、借家
人なら必ずその肩書に何町何丁目何屋何兵衛店とか何屋何兵衛支
配借屋とかある。前述の如く公事訴訟を起す場合、町人なら訴状
に町年寄又は名主の奥印を要するが、借家人だと更にその外に家
守の奥印が必要であった。借家人に関するすべての事件は皆家守
が背負ふ。「大家(家守)を親と思へ、店子(借家人)を子と思
へ」とはこの関係をいふのです。
町人と借家人との資格の相違は根本家屋敷を所有するか否かに
よつてきまる。町人が公儀の仕事を請負ふ場合、身元保証として
提供するのは家屋敷の沽券状であつた。町人が資金の融通を受け
る場合、家質といつて家屋敷を担保に入れるのが一番便利であつ
た。家屋敷は町人にとつてそれ程大切なものである。従つてこれ
を売買するには種々の手続が要る。先づ売る方の側からいへば、
五人組・町年寄・又は名主に相談し、その同意を得てから始めて
手附銀を取る。家質に入れる場合も同様です。これはその町内へ
身分違の者が来たり、町内の平和安寧を害する職業のものが来て
は困るといふ用心からで、売買質入の時のみならず、貸借の場合
にも借主の身元調が行はれた。
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