Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.4.15

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その32

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第二 市 制 (12)管理人註

家持 家守 代判人 地借店借 町人と借家 人 家屋敷

 町人には権利もあれば義務もあり、借家人には構利もなければ 義務もないと前に述べた。町人とは厳密にいへば家屋敷を所有す     イヘモチ る者即ち家持のことである。大阪では家持を(一)町内持(二)                              他町持(三)他国持の三つに分ける。(一)の町内持が江戸の居 ツキ 附地主に当ります。(二)(三)は持主が他町他国に住んでゐる のですから、その町に住んでゐる何人かに依頼し、自己所有の家 屋敷を代表し、併せて家屋敷内にある地借店借人を支配せしめは                     ヤモリ     イヘヌシ ければなりません。その依頼を受けた人が家守です。家主といふ 言葉は本来地主に対する言葉でせうが、或は家持と同じ意味に用 ひられ、或は家守と同じ意味に用ひられ、誤解を惹起し易いから 以下使用を避けます。家守は家持から若干の給料を貰ふ外、自分 の借りてゐる所の家賃を免除して貰つてゐる。江戸の家守の数は 寛政三年二万百十五人、給料は天明五年から寛政元年迄五ケ年を 平均して一ケ年五万一千二十七両余、無代で住んで居る借家の家 賃を合計すると一万三千六百九十九両余とあります。二口を合し て六万四千両以上ですから、一人の収入は約三両といヘます。支 配下の地借店借入から差出す各種の礼銀も家守の収入です。尚家 守は必ずしも一家持の代表者でなく、数人の家持を代表する場合 もあり、奉行所の方でもこれを奨励した位です。併し余り広い家 屋敷を支配する家守になると、下家守を置き、懐手をしながら給 料を貪るもあり、家持に迷惑を掛けて私腹を肥すもあり、株式の やうに家守の権利を売買するもあり、度々取締令が出てゐます。 家守や代判人(家持女名前の場合にこれを代表する者)は町人で はありせんが、町人に準ずるものとして取扱はれ、町年寄の選挙、 跡名主の推薦に加りました。                      タナ  町人以下は地借店借である。大阪では借屋・店かり・借地之者 と三つ並べた文句がある。借屋といつても店かりといつても同様 に思はれるが、区別してある所から考へると、店かりの店は古く ミ セダナ 見世棚といつた棚で商売の利く家、借屋といへば単に住居用の家、 換言すれば表借屋裏借屋であらう。二つに分けても三つに分けて も、要するに借家人だ。公式に町人を呼ぶ時は何町何丁目何屋何 兵衛、又は何町何丁目何屋何兵衛家守何屋何兵衛といふが、借家 人なら必ずその肩書に何町何丁目何屋何兵衛店とか何屋何兵衛支 配借屋とかある。前述の如く公事訴訟を起す場合、町人なら訴状 に町年寄又は名主の奥印を要するが、借家人だと更にその外に家 守の奥印が必要であった。借家人に関するすべての事件は皆家守 が背負ふ。「大家(家守)を親と思へ、店子(借家人)を子と思 へ」とはこの関係をいふのです。  町人と借家人との資格の相違は根本家屋敷を所有するか否かに よつてきまる。町人が公儀の仕事を請負ふ場合、身元保証として 提供するのは家屋敷の沽券状であつた。町人が資金の融通を受け る場合、家質といつて家屋敷を担保に入れるのが一番便利であつ た。家屋敷は町人にとつてそれ程大切なものである。従つてこれ を売買するには種々の手続が要る。先づ売る方の側からいへば、 五人組・町年寄・又は名主に相談し、その同意を得てから始めて 手附銀を取る。家質に入れる場合も同様です。これはその町内へ 身分違の者が来たり、町内の平和安寧を害する職業のものが来て は困るといふ用心からで、売買質入の時のみならず、貸借の場合 にも借主の身元調が行はれた。

 


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