Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.4.19

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その36

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第二 市 制 (16)管理人註

大阪の役数 大阪の御用 人足高 その他の公 役

 大阪も江戸と同様地子を納めぬ町々は役を出す義務がある。三 郷二万役といふのが大数の見当で、時代に従つて多少相違がある。 例へば正徳年間一万九千四百五十三役八分五厘五毛、天明七年二 万一千五十七役四分五厘八毛七弗とある類です。古くは一軒を一 役と定めたが、家には自然分合がある。明暦の水帳奥書に「広き 間口の者切候て売申候もの、又は子供に分候て遣候分は、家数に 罷成、役も多罷成候、或は狭き間口のもの買添、何軒も一軒に仕 候分者、家数不足仕候得共、役数の分は一軒に成候ても何軒役と 仕、少もへらし不申侯」とあるから、家を分ける時は家数と同時 に役数を増し、家を合する時は家数は減つても役数は減らなかつ たものと見える。三郷全体で以て役数幾許と定め、これで必要の 支出高を割り、一役につき銀何程と極めたので、無役といつてそ の割当から除外せられる分がざつと千九百役あつた。  元文元年(一七三六)南組の町々から惣会所の収入に不正の点 があるといつて町奉行所へ向けた大訴訟を起したことがある。そ れによると三郷役数約二万役に対し、一年一役銀三十匁の人足賃 が課せられて居るから、一日に銀一貫六百五十匁に当る、人足一 人一日一匁五分とすれば一日千百十五人の人足を使ふこととなる、 不法この上ないとある。三十匁の人足賃は丁度江戸で大岡越前守 の定めた一役の公役銀と同額である。江戸よりは市街も狭く人口 も少い大阪で、江戸同様の人足賃を取つたとすれば、それは法外 に相違ないのである。  町奉行所で人足を使はうとする時は、月番惣会所にその旨を通 じ、月番惣会所より直に指定の人足を出し、さうして二ケ月日毎 に三郷から月番惣会所へ集まり、その節季中の人足賃を計算し、 金額の七分の一を天満組、残金の九分の四を南組、九分の五を北 組の負担とした。これを三郷七分一の割といふ。大阪ではこの外 に(一)支配打銀(惣会所の入費)、(二)火消方人足賃、(三) 江戸年頭献上物進上物代並惣年寄惣代道中逗留諸入用をも公役の 中に数へるが、この三つは毎郷の勘定で、総数を一つに取纏めて 三郷で分けるのではない。(二)は人足賃同様役に割当てるから これを役掛といひ、(一)と(三)とは石掛といつて無役屋敷 も打込にして石高に応じて割当てる。さうして割当てた銀高を実 際は役高(無役屋敷の分を除き)に応じて、町々で取立てたもの です。

 


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