将軍家の御成や祭礼の時にはきつと道普請をする。道普請の費
用は武家地なれば武家、町地なれば町家、武家と町家との入会地
だと双方協同で支弁する。寺院もその組合に入ることがある。例
へば牛込山伏町通道造組合は武家百十八軒・寺五ケ寺・町四町か
ら成つてゐる。また城廻リ及び役所の所在地は公儀で負担する。
公儀負担の外は皆道造組合で取計らつてゐるが、道造組合は時に
下水組合と、また稀に橋組合と一緒なのもある。組合には年番又
は頭取がゐてこれを支配する。費用は武家は石高に掛け、町家は
小間に割付けること上水同様であつた。寺院の分担率は判然しな
い。
道路の幅員は交通の頻繁になるにつれて狭小を感じたに相違な
いが、その外にも往来の自由を妨げたものが色々ある。町々には
必ず木戸があつてその傍には木戸番屋がある。また町の中央部に
は二間に一間半の自身番屋がある。武家地では自身番に相当する
ものを辻番といひ、江戸中に自身番屋九百九十ケ所・辻番番所八
トコ ミ セ
百九十八ケ所に及んだといふ。そこへ床見世といつて橋詰・川端・
又は道路上に、何時でも取畳むことの出来るやうな簡単な建方の
ヤマシタ
床見世が出て居る。両国の広小路とか、上野の山下とか、柳原の
ド テ
土堤とか、繁華な場所に多い。床見世は官許を受けて一定の冥加
金を納めて居るが、床見世は商売が利くから、これを所持してゐ
る者は裏店に住んでゐると同様で、然かも町並の賦課が無い。裏
店住居の小商人にとつては非常に便宜であつた。それがため案外
広く江戸中に広がつてゐたが、天保改革の際助成地にかゝるもの
を除き、その他は全部取払となりました。
是等の特殊の建物ほいふまでもなく相応往来を妨げたであらう
が、町家の方でも道路を蠶食する悪い癖があつた。即ち一般の町
家が庇を長く出す、何時か知らぬ間にその庇の下へ柱を建て、壁
を塗り、家作を建てひろげる。それで庇は三尺の釣庇に限られて
ゐる。その釣庇の雨滴の落ちる処へ下水があつてそれに蓋がある。
桂を建てゝ庇を支へることは厳禁であつた。
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