Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.5.13

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その47

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第三 市内の交通
  一 道路 (7)
管理人註

日本橋その 他 組合持 一手持 橋の取締

 (四)日本橋以下町々の橋梁百二十余條も、亦御入用橋で、そ の三分の二は本所深川に、三分の一は大川以西に散在してゐたが、 その中で有名なのは日本橋・江戸橋・京橋・汐留橋・金杉橋・霊 岸橋・湊橋・高橋等です。以上の御入用橋の架替及び修繕はその 都度用達商人が請負つて居ましたが、享保十九年(一七三四)に 定請負となつた。請負金額は一ケ年八百両、それから二百両増し て千両となり、更に半滅して五百両となつた。但し架替の場合は 別に木材一式の代金を交付せられた。寛政年間定請負廃止となり、 町方勘定方の両掛となつた。  私費の橋々には組合持と一手持との二つがある。組合持は町々 でもつもの、武家でもつもの、町と武家と組合で持つもの、それ に寺院の加はつてゐるものもあつて、組織が種々あると同時に、 組合の範囲も広狭も色々であつた。さうして費用は道造と同様武 家は石高に、町家は小間に割当てた。組合持の橋の中で有名なも     シン   オヤヂ    アラメ のは芝の新橋・親爺橋・荒布橋等です。是等の橋々と前述の御入 用橋とがどうして入混りに配置されてゐたものか一々は分りかね ます。尚組合持の橋橋は起工竣工の時その筋へ届出づるのみで、 旧来の形を変更せざる限り、検視を受ける必要はなかつた。  一手持の橋は大抵大諸侯の邸宅に沿つた堀川にある。例へば汐 留橋の仙台橋の如きものである。水戸家の船河原橋の如く梢々隔 つた所に一手持の橋梁のあるのもあつたが、この方は特例と見て 宜い。  橋梁の取締は町奉行所の内に定橋掛といふものがあつてそれを 掌り、本所深川の橋々は本所見廻が支配してゐた。  橋に対する取締は道路と同じく喧しいものでした。橋の上や橋 詰に商人や乞食を置いてはならぬ、牛馬の脚を とどめてはなら ぬ、公儀橋は一ケ月に両度雨の降つた時に洗へ、橋の上に塵芥が たまつては早く腐敗するからよく掃除せよ、毎月二回同心を検分 に廻すから粗末にしたら咎を申付けるといふやうな類です。享保 十四年の申渡に、町々にて御入用橋の掃除を橋番人に一任するた め、掃除が不行届である、その町々の名主町人度々巡見し、橋番 人を指図せよとあり。御入用橋の掃除人足を橋番人と称へたもの と見えます。車に荷物を積んだまま橋を越すことを禁じたのは、 橋を大切にするためではありませうが、交通の方からいへば大き な妨害といはねばなりません。

 


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