Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.5.15

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その49

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第三 市内の交通
  一 道路 (9)
管理人註

橋の取締 交通機関 地車と大八 車

 橋上の出商及びべか車の橋上通過を禁じて居る点は江戸と同様 である。大阪の橋々は割合にカーヴが強い。往来が頻繁で度々修 繕費を出すのがつらいから態とさう造つたといふ説もありますが、 一面からいへば大阪は水面と道路面との差が少いから、川船の往 来の便宜を計つたためと解すべきでせう。  陸上の交通機関としては馬・牛・車・駕龍を数へる。大阪は道 路が狭い為か、牛車といふものを聞いたことがない。江戸では馬 や牛車で往来を妨げぬやうにとの触書は再三出てゐます。武家は 馬に乗るのが当然であるが、平民はこれに乗つてはならぬ。況ん や馬子が馬に乗るのは大いに不都合であるとして市中では禁止せ られてゐます。また馬や牛車に嵩高な荷物を附けてはならぬ、牛 馬の痛にならぬやうにせよといふ法令には、動物愛護の精神が見 える。五代将軍綱吉は迷信からではありますが、盛んに生類憐憫 を実行した。  車には地車と大八車とがある。地車は車体低く、車輪が四つあ る。多くは牛に引かせた。火事の節地車や大八車に荷物を載せて 引いてはならぬといふ禁令は、避難者の迷惑を慮つたためでせう。 大八車は八人の代りをするから代八で、それが大八となつたとい ふのは信じられない。明暦の火災後、方々に築地が出来た時に、 大八といふ者が土を運ぶ車を作り出したといふ説もある。発明者 の名によつて大八車といつたのであらう。車を引くものは凡て草 鞋を履き蓑笠で往来すべきものとされてゐる。  【べか車と大八車 略】

 


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