Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.5.18

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その52

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第三 市内の交通
  一 道路 (12)
管理人註

べか車の流 行 伝馬方及び 上荷茶船仲 間の苦情 べか車の取 締

 べか車に車の字を充てた本がありますが、造り字でせう。こ の車はいつ頃から行はれたか判明しません。安永三年(一七七四) 九月の令に、近年べか車増長し、橋上を通過するを以て、往来の 人々の妨となるのみか、橋々の損害強く、橋掛町々迷惑なる由そ の聞あれば、向後べか車を曳いて橋上を通過すべからずとある。 近年といふからには本令発布を遡ること遠からざる時代に大阪で 流行しだしたものと考へられる。  べか車の流行によつて伝馬方及び上荷茶船仲間双方から苦情が 出た。自家の営業を妨害せられるといふ意味で、伝馬方は馬の需 要減じ、この上馬数が減少するやうでは御用に差支へるといひ、 上荷茶船仲間は自分共は役船を勤め、また冥加銀も差出してゐる のであるから、何分保護を仰ぎたいといふのである。棄て置く訳 に行かないので、町奉行所では左の通り規定した。  (一)馬の背につくべき荷物を荷主我儘に切解き、べか事にの     せてはならぬ。  (二)車の大小に拘はらず、竹木・石・瓦を除き、目方三十貫     目に限り積め、三十貫目以上の品はべか車にて運送して     はならぬ。  (三)車小なりとも車力一人にて曳くべからず、車一輌に車力     二人車の前後につき、怪我過失のなきやう注意せよ。竹     木・石・瓦の類及び重量品を積む時は人数を増せ。  (四)荷物を積んだべか車が市中橋々を曳通ることは勿論、仮     令荷物は車力の肩に担ひ、空車にて越すとも、橋を隔て     た遠方まで車を用ひては船方の妨となるにつき、べか車     橋越の働は停止す。また夜中曳通ることを固く禁止す。  (五)べか車に下尿小便を積み市中を往来してはならぬ。  文政七年(一八二四)車の員数を定めて千六百七十八輌とし、 車輪に氏名住所を記入せしめ、惣会所より焼印を加へ、持主の名 前替及び譲渡はすべて惣会所へ届出づることとした。然るに新に 車を作り、古車の焼印を切抜いて貼付けるものがあつたため、安 政五年(一八五八)(イ)一方には車製造人を調査して鑑札を下 附し、一方には車体の新造修復を欲する者は必ず惣会所に届出で て許可証を請へ、許可証を示さゞる依頼者の注文は引請けること 無用とし、(ロ)車体の大きさを限り、枠の長さ六尺、車輪の寸 法大の分直径三尺五六寸、小の分三尺位までとし、(ハ)焼印を 打替る時は古車を切砕くことゝし、板請と称し車を持参せず、板 のみを持参して焼印を請ふものあるもこれを許さゞる等取締は愈々 精密となつた。

 
  


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