Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.6.3

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その55

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第三 市内の交通
  二 川 筋 (3)
管理人註

下水道 川筋掟の自 余の箇條

 下水については町境に幅二尺乃至三尺の下水道を作つて町内の 下水を集め、更に大下水道と称する幅一間内外のものに落し、そ れから川々に落し込む。精密な大絵図によると大下水道が上町に 二條、船場に二條あるが、何時頃から始まつたものか不明である。                        ハグロドブ 新町遊廓にあるものは放出口がない。江戸吉原のお歯黒溝も同様 である。  川筋掟の第十二條に、川筋に通ずる町々水道口から夥しく塵芥 が出て水行を妨げる。塵芥を水道に投棄することは前々より堅く 禁制だ。水道掛町々互に吟味を加へ、且つ水道落口に土砂留の杭 を樹て、これに掛る物があつたら速に除却せよと令してゐる。例 年四月十五日には屹度水道浚の触渡しあり、町々ではこれによつ て入梅前に溝浚を遣ります。この費用と大下水の浚費用は坪割で 取立てる。  川筋掟のその他の箇條は  (一)川筋堀々にては河身に従ひ船を繋ぎ、通船の妨を為して     はならぬ。  (二)浜々の船繋杭を川中まで打出し、通船の妨を為してはな     らぬ。  (三)材木屋竹屋等川中へ竹木を積出し、并びに筏等を繋留め     たまゝ日数を重ね、往来を妨げてはならぬ。  (四)木その他諸材木を川中に埋置き、川を浅くしてはなら     ぬ。  (五)筏を長く組み、小人数にて操縦し、通行の船舶を妨げて     はならぬ。         ツケズ  (六)川中又は附洲の上に柱を建て、屋根を葺き、帆柱船板等     を置いてはならぬ。  (七)町々より塵芥を運び、川中并びに沿岸に放棄してはなら     ぬ。  (八)橋杭は勿論、船繋杭并びに綱にかゝれる塵芥はその町々     又は船乗に於てこれを取払へ。  (一一)船着の便宜を計り、町人自費を以て川筋堀々の野路附     洲を堀割り、川岸を浚渫するは随意であるが、その土砂     を野路附洲の上に積重ねてはならぬ、必ず之を他に搬出     せよ。 とある。是等の規定を見ても川筋へ塵芥を捨てることは実に喧し かつた。従来七夕の短冊の竹、精霊祭の品々は附近の川筋に流す 風習であつた所、自今一二町づゝ申合せて一ケ所へ束ね置くやう にせよ、さすれば公儀より船を出して取捨てると、寛政四年(一 七九二)の御触に見え、爾来例年七月朔日、本令を繰返してゐま す。

 


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