Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.6.6

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その58

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第三 市内の交通
  二 川 筋 (6)
管理人註

役銭 船改番所高 札

 年貢の外に役銭といふものがある。役船といつて公用のために 無代で船を出す。この無代で出す船の賃銀を一般の川船で負担す る。それが役銭の起源で、本年の支払高を次の年の年貢へ割かけ て取つたものであるが、後には支払高にかゝはらず、毎年直に年 貢へ掛けて取つた。銭一貫文につき銀七十匁を取つた。さうして その上納は請負人があつて取立て上納した所、段々怠納が出来て、 十五年間に五万一千六百九十二両余に達したため、川船奉行まで 連座して罪を獲るに至つた。その結果前述の如く享保六年鶴飛騨 が新に川船奉行となり、年貢役銀の取立・船改め・新造船・潰船 等一切を差図することゝなつたのである。鶴氏は役銀を三十一匁 に減じ、別に怠納金返還にあてるものとして二十匁、都合二口で 五十一匁を取ることゝした。それから規律振肅のため三ケ所の船 改番所に高札を建てた。その文句に、  (一)毎年八月より翌年五月までに川船御年貢并役銀納可申    事。     附、御年貢手形番所に於て改を請可申事。  (二)御年貢手形無之船、他の船の御年貢手形を借候に於て     は、貸人借主共に可曲事事。  (三)往還之船不昼夜番所にて相断可通、若隠忍於往還     者、可曲事者也。 して見ると手形といふのは年貢を上納したといふ証札と考へられ る。その船手形の無い船を見付けると、番所又は見廻のものが直 ちに不納者の艪楫を差押へて仕舞ふ。家業が出来ないから早速才 覚して上納したといふことです。

 


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