年貢の外に役銭といふものがある。役船といつて公用のために
無代で船を出す。この無代で出す船の賃銀を一般の川船で負担す
る。それが役銭の起源で、本年の支払高を次の年の年貢へ割かけ
て取つたものであるが、後には支払高にかゝはらず、毎年直に年
貢へ掛けて取つた。銭一貫文につき銀七十匁を取つた。さうして
その上納は請負人があつて取立て上納した所、段々怠納が出来て、
十五年間に五万一千六百九十二両余に達したため、川船奉行まで
連座して罪を獲るに至つた。その結果前述の如く享保六年鶴飛騨
が新に川船奉行となり、年貢役銀の取立・船改め・新造船・潰船
等一切を差図することゝなつたのである。鶴氏は役銀を三十一匁
に減じ、別に怠納金返還にあてるものとして二十匁、都合二口で
五十一匁を取ることゝした。それから規律振肅のため三ケ所の船
改番所に高札を建てた。その文句に、
(一)毎年八月より翌年五月までに川船御年貢并役銀納可申
事。
附、御年貢手形番所に於て改を請可申事。
(二)御年貢手形無之船、他の船の御年貢手形を借候に於て
は、貸人借主共に可為曲事事。
(三)往還之船不問昼夜番所にて相断可通、若隠忍於往還
者、可為曲事者也。
して見ると手形といふのは年貢を上納したといふ証札と考へられ
る。その船手形の無い船を見付けると、番所又は見廻のものが直
ちに不納者の艪楫を差押へて仕舞ふ。家業が出来ないから早速才
覚して上納したといふことです。
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