Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.6.9

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その61

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第三 市内の交通
  二 川 筋 (9)
管理人註

江戸の川船

 次ぎに江戸の川船の種類を挙げてみよう。  (一)家形船 家形があるからかく名付ける。酒を載せ妓女を 聘する遊山船で、大小色々あり、大きな分は長さ七八間もあつた。 川市丸・玉吉丸・恵比須丸・布袋丸などといふ名をつけてゐる。                          ミヨシ 天和二年(一六八二)に家形船の寸法をきめ、船の長さ船首より トダテ 戸立まで四間三尺、胴の間六尺五寸、屋根の高さ板子の上より棟 木の下場まで五尺、軒の高さ船ばたより三尺七寸、軒の出端一尺 一寸、間数胴の間・筒の間、この二間より外に造つてはならぬと ある。宝永三年(一七〇六)に百艘に限られたが、文化頃には減 つて二十艘ばかりとなつた。      ヒヨケ  (二)日除船 これは屋根船のことで、家形船の小形なるもの と同じである。遊山の外に往来用にも使はれる。船頭は一人又は 二人で、柳橋から山谷堀まで一人乗三百文、二人乗四百文といふ。 最初三十艘、後に七十艘、併せて百艘許可された。天保年間には 日除船のすだれを挙げよといふ御触が見えてゐる。これは風俗壊 乱を取締る意味です。     チヨキ  (三)猪牙船 浅草見付の船宿玉屋笹屋の両名が発明したとも、 また長吉といふ男が押送船を見て考へ出したから、一名長吉船と いふといふ説もある。早船で柳橋から山谷堀まで百四十八文であ つた。これには屋根はない。      ニタリ  (四)荷足船 荷物船です。  (五)高瀬船 大小がある。荷物を積み、客を載せる。主とし て江戸廻の船で、根源は京都から来たものであらう。     テンマツクリ  (六)伝馬造茶船 大・中・小の三種がある。茶船は荷物船で ある。品川沖へ来た廻船の荷物を積んで川岸へつける。     オシオクリ  (七)押送舶 これは海魚を積んで日本橋へ入る。大小がある。  (八)五大力 大小がある。  (九)茶船 大・中・小三種がある。  (一〇)土船 飯田町の堀留から数寄屋橋御門外まで、御堀内 澪通の土を浚取つて商売をする。冥加金を納め、且つ江戸橋から 東へ大川出口までの定浚を勤める。仲間は十一組あつて人数は百 九人あつた。  (一一)水船 品川沖の廻船や、水の悪い本所深川方面へ飲料 水を売る船で、大小がある。  (一二)肥船      ヒラタ  (一三)船(平田船) 通船の一種で、船の形は長くて平た い。  (一四)上州  (一五)渡船

 


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