箱根の関所の高札で一番古いのは寛永二年八月付で、それが正
徳元年五月に増補された。その箇條書に、
一、関所を出入る輩、笠頭巾をとらせて可通事。
一、乗物にて出入る輩、戸を開かせて可通事。
一、関より外へ出る女は、具に証文に引合せ可通事。
附、乗物にて出る女は、番所に女を差出して可相改事。
一、手負、死人、並びに不審成るもの、証文なくして不可
通事。
一、堂上の人々、諸大名の往来、兼てよりその聞あるは沙汰
に不及、若し不審のことあるに於ては、誰人に依らず
相改むべき事。
右之條々厳密に可相守者也、仍而執達如件。
正徳元年五月 日 奉 行
とあります。文中に証文とあるは関所手形のことで、左の項目に
当るものは必ず関所手形に明記しなければならなかつた。
乗物 何挺
禅尼 貴人の後室姉妹の剃髪したもの
尼 普通の女の剃髪したもの
比丘尼 伊勢上人善光寺上人抔の弟子、貴人の召仕
髪切
小女 当歳より振袖までの間
乱心 男女とも
手負 男女とも
囚人 男女とも
首 男女とも
死骸 男女とも
さうしてその手形はどこから出るかといふと、京都へ往く分は御
留守居から出る。武家の女性は必ず手形を要するが、男性も亦必
要である。但し御直参は手形を要せぬ。また町人になると至極簡
単で、大屋・名主・所縁の者の認めた手形でよい。芸人などは何
か芸をやつて見せて芸人たることを証明すれば、それで無事に通
して貰へた。
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