Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.6.29

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その71

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第四 江戸大阪間の交通
  一 街 道 (9)
管理人註

安永二年江 戸の飛脚問 屋の出願 京大阪定飛 脚問屋株

 安永二年に江戸の飛脚問屋九名から道中奉行へ差出した願書が ある。それによると、自分達の営業は京都大阪御城内御用、上方 筋諸国御代官・大小名・武家方の御用、町方諸問屋の商用を引請 け、並飛脚といへば八日九日限り、早飛脚といへば五日六日限を 以て請負つてゐる。然るに近年道中筋馬払底の由を申し、宿々に て臨時に停滞するがため次第に遅れ、当時は川支もなきに早飛脚 にて七八日、並飛脚では二十日三十日もかゝる。早飛脚は火急の 御用を勤むるものなるに、右様遅延しては御用向に差支を生じ、 恐縮千万である。並飛脚の方は荷物も沢山持つてゐる故、多少遅 延しても御詫が叶ふが、早飛脚といへば纔に乗下馬一匹の事であ るから遅怠の理由が立ち難い。近年宿々で三度飛脚の荷物は仮令 何日差置いても構はぬといふ弊風あり、それがため愈々遅延を重 ね、手前共に御依頼の荷物は減少し、家業も立行き難き姿に立到 つた。武家方では御立腹の余り、直接に飛脚を立てらるゝ向もあ り(尾州紀州の七里飛脚の如し)、道中筋に武家方の会符を立て た荷物を多く見るやうになつた。自分達の荷物なら定の駄賃の外 に心附をも遣はすが、会符付の荷物は実は馬士宿々の煩である。 尚馬士共が三度荷物に対し途中酒手を強請し、迷惑である。自今 京大阪上り下りの荷物は道中宿々川々で捨置かず、継立てくれる やう、又川支にて荷物が停頓する時、手前共荷物も会符付荷物に 順じ、前後を正して送るやう、右両條を毎年一回道中奉行より宿々 一統に触示されたく、さすれば冥加として一ケ年五十両を上納す るとある。  この願書が出てから道中奉行と飛脚問屋との間に再三交渉が行 はれ、十年後の天明二年(一七八二)になつて江戸の飛脚問屋は 株を許可せられた。即ち前記九名へ京大阪定飛脚問屋を申付け、 見世看板を許し、以来問屋取扱の荷物には定飛脚の会符を附け、 宰領には定飛脚と認めた印鑑を携帯せしむることゝし、御用物は 勿論、その他の荷物と雖も、宿場着順により、宿馬に限らず助郷 馬をも継立に使用するの特権を有する旨を、東海道各駅の問屋・ 年寄・川役人に達した。

 


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