Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.6.30

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その72

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第四 江戸大阪間の交通
  一 街 道 (10)
管理人註

江戸三度飛 脚問屋株 文化三年の 定飛脚規則 維新前後の 営業状態

 大阪の方では江戸三度飛脚問屋の株が、安永三年、即ち江戸の 飛脚問屋が願書を出した翌年に許可になつて居る。当時営業をし てゐた者は九軒であるが、株札は十枚あつた。左に文化三年の規 則によつて当時の営業状態を略述しよう。  書状荷物の配達の遅速に応じて賃銭の相違がある。  並便 到着日数の最も多くかゝるもので、廿五日乃至廿六日を 要する。  幸便 二・五・八の日、即ち一ケ月に九回、集まる所の荷物を 一纏にして出す。所要の日数は十日といふが、遅着するのが通例 であつた。  六日限・七日限・八日限・十日限 大阪を発してから江戸表届 先へ着する間の日数をいふ。然しながらこの唱は有名無実であつ て、その実六日限といつても九日目に到着し、以下順次遅延する。 六日限で書状一封銀二匁、荷物一貫目銀五十匁、金百両で銀五十 五匁の料金である。  仕立 その品一点に限り、時日を論ぜず、即刻別人を以て逓送 し、請負日限三日より六日に至る。料金は正三日半限、封物百目 限、金七両二分であつた。  モアイ  催合便 先に記す所の幸便及び六日限以下が有名無実であつた ため、文久三年始めてこの制を設け、毎月二・五・八の日を以て 大阪を発し、七日目に江戸に到着することとした。書状一封金一 朱であつた。  以上の輸送日限や料金は決して一定不変のものではない。維新 前後飛脚問屋を営んだ人の実際談によると左の如くである。          ウロコ  荷物の方は並便を△といつて三十日を要し、中便また八便とい ふのが八の日毎に出て、これが二十五日、中便の荷物が非常に嵩 んだ時は二の日・五の日にも差立てる。それより早いのが早便で、 これは二十日位で到着する。これは一貫目につき二十五匁の料金 であつた。中便の料金は一貫目につき銀十五匁であつた。それか ら書状の方は正六(六日限)といつて二・五・八の日の夕方まで に集め、同夜亥の刻に差立てるのが、一通金二朱であつた。尤も 正六といつても有名無実である。別仕立となると三日限・四日限・ 六日限といふのがあつて、目方は三百目を限りとし、三日限で三 十両、六日限で金八両であつた。

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