Я[大塩の乱 資料館]Я
2009.7.15

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「大塩の乱関係論文集」目次


『江戸と大阪』
その75

幸田成友著(1873〜1954)

冨山房 1942 増補版

◇禁転載◇


 第四 江戸大阪間の交通
  二 廻船 (2)
管理人註

御城米の輸 送 幕府の船印 十組問屋 江戸買次問 屋

 かやうに江戸大阪間の海運は古くから行はれてゐたものゝ、瑞 賢が奥羽二州の海運を完全にしてから、一段の進歩をしたものと 思はれる。瑞賢の講じたのは御城米を安全に運ぶ方策であつて、 船体の吟味・船頭水主の行状・積荷の制限・難破覆没の際の処置 等に喧しい取締を行つたが、それが商船の貨物運送に影馨して来 るのは当然である。御城米輸送といつても幕府所有の船でやるの ではなく、臨時に民間の船を入札で借上げるのである。船頭水主 も幕府で平素雇つて置くのではない。寛文十三年に出た御廻米積 船御定書、御城米廻船之儀に付御書付等を見るとよく分ります。 当時船でも水夫でも、伊勢・尾張・紀州・讃岐の塩飽島・大阪の 伝法・備前の日比浦等のものがよかつたといふことです。さうし て御城米廻送に当る船々は、白い四半に大きな朱の丸をつけ、そ の脇に船名を書いて立てたとある。日の丸は幕府の船印で、これ がやがて日本の国旗となつた。    【元船及楫の図 略】  大阪江戸間の私人の荷物運送は最初は個々であつた。それがた めに平時は勿論、難船の節に争論が絶えず、謂れなき費用もかゝ り、荷主・船頭・水夫一同の難儀であるといふ所から、江戸の大 阪屋伊兵衛なる者が発起人となり、元禄七年(一六九四)荷主を 十組に分け、行事を置き、組々順番に行事を出して組内を支配す ることとし、また重立つた荷主が極印元となつて廻船に極印を押 し、往来毎に船足や船具を改めた。大阪もこれに倣つて江戸買次 問屋といふものを結んだ。これが後に廿四組問屋となつたのであ る。十組問屋の名前は一方には江戸へ輸入される貨物を知るに足 るものだから左にその名称を掲げよう。  塗物店組  内店組(絹布・太物・繰綿・小間物・雛人形)  通町組(小間物・太物・荒物・塗物・打物)  薬種店組(薬種砂糖)  釘店組(釘・銅・鉄物類)  綿店組  表店組(畳表青筵)  川岸組(水油)  紙店組(紙蝋燭)  酒店組

 


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