○大坂騒動 (19) |
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乱れしく難波の芦のよしなくも
おもひ立らん浦のしほ風
連歌師 坂 昌成
石火矢にのぼりをみれば煙りたつ
民を救ふと書付にけり
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大塩にさわぎ立けり浪の華
大しほのあとへ(跡部)つけゐるしほひ(四方火)かな
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「土井大炊跡部殿、あの鐘どつちかきいてくれ、町奉行仰天し、イエ\/火事ではござりません、与力がした一揆のぶちこわし、お先へさんじます、鎗々鉄ぽう御手配りぬきまわし、なんの苦もなく一ト軍、命と城との考ヘ、いづれも御役がら、きん\/きゝきん\/、
しんぐん\/節
「あとべ何をする大手をかため、ヤレコレサ、こわひながらも上帯しめる、ノウコレサ、死にかゝる、しんぐん、ヲゝサカ新ぐん\/、
「与力同心乱妨すきな、ヤレコレサ、上を下へとひつくりかへす、ノフコレサ、火を掛る、新軍々々、大坂新軍々々、
右大坂騒乱一件、翌年戌の八月落着、御仕置申渡等其処にしるす、抑元和元乙卯年五月七日、大坂落城の後天下泰平、然るに慶安四辛卯年、由井正雪、丸橋忠弥が輩、謀企有といへ共、干戈を動すに至らずして亡滅す、爰に大塩平八郎慢乱の所業と云共、暫時兵馬を動せし事、珍事の大罪ならずや、