Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.4.19

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その20

国府犀東(1873-1950)

(偉人史叢 8)裳華書房  1896

◇禁転載◇

吏務の治績(6)

管理人註















妖教妖巫


















































妖巫を拿
捕す

文政十年丁亥四月、平八は更に大なる吏務の成効を奏したり、町奉行高井山 城守は、平八近く招き寄せて、此の頃妖教頻りに流行し頗ぶる風俗を紊る、 聊か卿を煩はさむ、取沙汰厳重に偵察候へとの内命ありしかば、平八は委細 承候との返辞を残して、其のまゝ妖徒の吟味に取りかゝりぬ、この頃京摂の 間、切支丹宗頻りに蔓延して其の勢、日に日に盛なりければ、平八は命を受 けてかゝる妖教邪説を主唱する魁首は何人ぞと偵察する程に、直ちに其の魁 首妖巫たるは、益田貢と名のる者なると判然せり、妖巫年五十前後、尚ほ娥 粧を扮す、京都八坂に住す、もと肥前国唐津の浪人水野軍記の弟子となり、 ・・・・・・・・ ・・・・・ ・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ 天帝の画像を拝し、神文を唱へ、指を裂き血を出し、之を画像に瀝きかけ陀 ・・・・・・・・ ・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 羅尼加持祈祷より、金銀を集むる法、妖術の印文に至るまで種々の秘伝邪法 ・・・ ・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・ を授り、今や八坂上の町の陰陽師と称し、吉凶判断加持祈祷を以つて其の門 ・・・・ ・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 戸を張り、其の集まる所の黄金、乃はち其の大部を割いて之を下民に施与し、 ・・・・・・・・・  以つて愚昧を煽動す、是れ明らかに切支丹宗に混するに、種々なる日本風の 儀式方便を設けたる者にて、ゼシユヱツト的の永遠布及の図を計るもの、方 今文明の社会に於てすら、尚ほ此の種の宗旨を唱ふるもの、甚だ世教に害あ ること、其の社会の下層に蔓延洽布するが故なるに睹は、当時の如き国家制 禁ある上に、社会一般に尚ほ頑迷曖昧なりし時代のことなれば、其の勢力は                    ・・・・・・・・・・・・・・・ 頗る恐るべきものありしに相違なきなり、平八が此の社会の大蠹害を除去す ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・ るに於いて成効したるものは独り平八としての一大成効なるのみならず、亦 ・・・・・・・・・・・・・ た国家の一大成効なりしなり、 平八は商人に打扮して京師に入り早やく其の門を伺ひ、其の内実を諜し得て、                    ・・・・・・・・・・・・・・・ 今や将に此の妖婦を捕縛せむとするなり、而かも京師の吏徒皆な妖教の験あ ・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ るを怕れて敢へて発せず、唯だ平八が之を拿捕するを傍観し居たり、平八は こゝ一挙して俗吏の肝胆を寒からしむものと、勇み/\て親ら組同心二人を 帥ゐて、直ちに八坂に赴けり、八坂の妖巫は、平八が有司の衣装にて来るを 見るや、早く其のきに己が門にありし商人なりしに心付き、扨てこそ孺子 の名をなせりと、云はむばかりの面持にて、雷眼爛々平八を一睨して、頻り に呪咀し始めたり、平八は物をも言はず、直ちに神龕の前に逼り、之を蹴り                              ・・・・・ 倒して、手疾く之を縛せしめ、引き揚げて大坂指して還りたり、京師の官吏 ・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 之を聞き、皆な舌を巻いて愕かさるはなかりしとぞ、

幸田成友
『大塩平八郎』 
その30

紊(みだ)る






妖巫
(ようふ)

益田貢
豊田貢

娥粧
(がしょう)
美人の化粧

瀝(そそ)き
















洽布
(こうふ)

(みる)


蠹害
(とがい)
物事を害する
こと










怕(おそ)れて




有司
役人

孺子
(じゆし)
子ども

神龕
(しんがん)
神殿

逼(せま)り


『大塩平八郎』目次/その19/その21

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