Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.4.20

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その21

国府犀東(1873-1950)

(偉人史叢 8)裳華書房  1896

◇禁転載◇

吏務の治績(7)

管理人註








平八の名
京畿に震
ふ


































姦猾の吏
を糾明す

かくて平八は獄吏をして種々之を拷問せしめたれとも、妖巫は頑として動か す、平八乃はち親ら出てゝ天地の大道、古今の條理を以つて之を詰責す、明 鏡台に在り、物の妍直に判す、妖巫は竟に條理に服せり、而して実状を得 たり、是に於いて町奉行は之を幕府に上告し、三年を経て御法度厳重なる邪 法の宗門拡めし段々、不届至極、重罪なればとて、京都八坂の陰陽師益田貢 は、今や大坂二郷引廻の上、磔の刑にこそ行はれたれ、而して其の徒弟及ひ                            ・・・・・・・ 宗門帰依の輩にも、夫々刑に処せられたるものもありけり、是れぞ平八か析 ・・・・・・・・・・・・・・  ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ 獄中尤も大なめ成効なりけらし、是に至つて平八の名京畿に震ひ、下民皆な ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 平八を呼むて先生と曰ふに至れり、平八の事に処し機に応する其の神速果決、 疾雷耳を掩ふに遑あらさる此の如きものあり、思ふに是れ亦た孔子夾谷の会 に嬬俳優の徒をして、坐に首足処を異にせしめたると、同一筆法を学ひ来 れるものなるへし、平八時に年三十六、邪教の害乃ち熄す、                                  ○ ○ 同しく文政十二年巳丑三月、平八は又た、奉行高井山城守の命を承けて姦猾 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ の吏を糺明せり、西組の与力に弓削田新左衛門と云ふ者あり、多く狎邪に結 ひ、要路を恃み、公事訴訟には、陰に陽に其の徒と相い匡翼し、相い応援し、 種々の干繋を利して縁し、其の間際に立つて賄賂を貪ほり、隠然として其 の勢力を畜ふ、平八夙に其の姦曲を察し、奉行亦た之を知れり、是に於いて 犀利果鋭なる平八は、奉行の命を以つて直ちに其の偵察に従事し、其のの姦 悪を指摘し、之を拷問し糾明して、其の実を得たれは、直に之に宣告して、 与力の身分にて、公儀も憚らず、邪曲の所為けしからず、某等の面目にもかゝ はること、御切腹候へなむと申渡し、其のまゝ奉行よりも命ありければ、新 左衛門は平伏して竟に切腹したりけり、而して連累者要路の人と雖とも皆な      ・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・ 罸せらる、かく平八は、一方には法を取り律を案し、一方には義を責め理を ・・・・・・  ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 諭し峻厳辣然、是に於いて、組与力の風紀習俗、焉として其の旧観を改む、

幸田成友
『大塩平八郎』 
その30




















(いとま)









弓削田
新左衛門
弓削
新左衛門

匡翼
(きょうよく)
ただし たすけ
ること

犀利
(さいり)
才知が鋭く、
物を見る目が
正確である
 さま


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