平八の名
京畿に震
ふ
姦猾の吏
を糾明す
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かくて平八は獄吏をして種々之を拷問せしめたれとも、妖巫は頑として動か
す、平八乃はち親ら出てゝ天地の大道、古今の條理を以つて之を詰責す、明
鏡台に在り、物の妍 直に判す、妖巫は竟に條理に服せり、而して実状を得
たり、是に於いて町奉行は之を幕府に上告し、三年を経て御法度厳重なる邪
法の宗門拡めし段々、不届至極、重罪なればとて、京都八坂の陰陽師益田貢
は、今や大坂二郷引廻の上、磔の刑にこそ行はれたれ、而して其の徒弟及ひ
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宗門帰依の輩にも、夫々刑に処せられたるものもありけり、是れぞ平八か析
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獄中尤も大なめ成効なりけらし、是に至つて平八の名京畿に震ひ、下民皆な
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平八を呼むて先生と曰ふに至れり、平八の事に処し機に応する其の神速果決、
疾雷耳を掩ふに遑あらさる此の如きものあり、思ふに是れ亦た孔子夾谷の会
に 嬬俳優の徒をして、坐に首足処を異にせしめたると、同一筆法を学ひ来
れるものなるへし、平八時に年三十六、邪教の害乃ち熄す、
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同しく文政十二年巳丑三月、平八は又た、奉行高井山城守の命を承けて姦猾
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の吏を糺明せり、西組の与力に弓削田新左衛門と云ふ者あり、多く狎邪に結
ひ、要路を恃み、公事訴訟には、陰に陽に其の徒と相い匡翼し、相い応援し、
種々の干繋を利して 縁し、其の間際に立つて賄賂を貪ほり、隠然として其
の勢力を畜ふ、平八夙に其の姦曲を察し、奉行亦た之を知れり、是に於いて
犀利果鋭なる平八は、奉行の命を以つて直ちに其の偵察に従事し、其のの姦
悪を指摘し、之を拷問し糾明して、其の実を得たれは、直に之に宣告して、
与力の身分にて、公儀も憚らず、邪曲の所為けしからず、某等の面目にもかゝ
はること、御切腹候へなむと申渡し、其のまゝ奉行よりも命ありければ、新
左衛門は平伏して竟に切腹したりけり、而して連累者要路の人と雖とも皆な
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罸せらる、かく平八は、一方には法を取り律を案し、一方には義を責め理を
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諭し峻厳辣然、是に於いて、組与力の風紀習俗、 焉として其の旧観を改む、
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幸田成友
『大塩平八郎』
その30
逞(いとま)
弓削田
新左衛門
弓削
新左衛門
匡翼
(きょうよく)
ただし たすけ
ること
犀利
(さいり)
才知が鋭く、
物を見る目が
正確である
さま
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