浮屠の沙
汰
高井山城
守職を辞
し平八亦
た致仕す
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明年即はち天保元年庚寅三月、平八又た浮屠の沙汰を断行せり、当時僧侶の
邪悪なるもの、其の社会信崇の焼点、民心帰依の中心たるの地位を利用して、
私を挟み利を営み、愚民を蠱惑するに邪説を以てし、姦曲を逞ふするに口実
を設け、百方計画到らざるなし、訓令を布くも聴かず、宗門の腐敗堕落亦た
甚だし、奉行は今や宗門に干渉し来れり、宗門沙汰の命を受けたる平八は、
直ちに入つて僧侶を吟味せり、仏陀が夙に樹立せる戒律は、今や宗教界に一
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も行はれざるなり、貪婪厭くなく、邪淫風をなす、而して其の影響や、頗る
良民を煩はし、婦女を害す、世教に於ても、治安に於ても、黙視すべきにあ
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らざるなり、剛毅英果なる平八は、一方には仏門の戒律を旗とし一方には国
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家の法度を鋒とし、縦横無碍に僧侶社会の姦悪を一々指摘し、鉤発し、其の
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罪科により重きは之を遠島に流し、余は夫/\其の罪の軽重に随つて之を処
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断せり、是に於いて仏門の教綱肅然として張り、仏陀の法網凛然として振ふ、
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此の年七月、良京兆尹たる、平八唯一の知己たる、高井山城守実徳は、老を
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以つて大坂東町奉行の職を辞せり、実徳は此の時■已に齢古稀に垂なむとせ
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り、而して平八は年方さに三十又七、鋭気狂勢尚ほ汪裂の秋なり、平八は而
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かも同じ月を以つて亦た退職を決せり、平八は実に山城守の知遇に感激した
るものなり、其の微官賤職ながらも、克く驥足を展へ、気 を吐くを得たる
もの、一に山城守の信任と重用とによせすむはあらずとせば山城守は実に平
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八一代の知己なりしなり、平八一生の伯楽たりしなり、平八が山城守の下に
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立つて画策翊翼し、猛進断行したるは、一方には其の英名を煥発し、隆望を
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高ふするに至りたりと雖ども、亦た一方には其の籍々たる英名と隆々たる威
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望とは万朦の嫉み、千 の悪むところとなるの原因となり、益平八が挂冠の
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意は、堅固にせられたり、果然として平八は招隠の篇を賦せり、
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幸田成友
『大塩平八郎』
その29
蠱惑
(こわく)
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文字不明
翊翼
(よくよく)
千
(せんこう)
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