春日潜庵中斎を推す○済々たる多士門に集る○堯舜事功孔孟学○王陽明
  を祭る○功業皆出 於良知 ○死地に入つて蘇息す○中斎の学説○洗心洞
  剳記○哲理的研究の半面に於ける五大綱要○大虚は理想なり○陽明の体
  用論○良知及び良知的発用流行○百尺竿頭一歩を進む○虚の一字は最後
  の断案なり○四書六経に於ける虚の字の適用○空間の観念ありて時間の
  観念なし○一家の哲学者○比較推論法○論理家○積極的方法○消極的方
  法○積極的諦観法体認法大虚の本体質相生死なし○消極的諦観法体認法
  ○知行合一○実行的研究方面に於ける五大綱要○哲理の観念と事業の観
  念○両半面の調和合一○文学を排責す○平八は文学者にあらず○史論を
  卑しむ○洗心洞の教育法○洗心洞塾内法律○規定に関する法理的観察
  ○道徳上の主権者○洗心洞風紀振粛律○学名学則及び読書々目○孔孟学
  を学名となす○孝の一字を以つて学則の主となす○孝経○易経○伝習録
  ○問学工夫の方針○学風の特色○洗心洞の著作
春日潜庵居常大塩中斎を称しして曰ひけるは、
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 中江藤樹・熊沢蕃山・三輪執斎三子の後、独り此の老あるのみ、世の人概
 ね成敗の迹につきて論し呼びて乱臣賊子となしぬ、悲むべきなり、此の老
 の兵を挙げしは、勤王の先鞭を着けたるものなれども、幕府なほ盛なるの
 日にありしをもて、人皆悟らさるなり、此の老争で功名富貴をのぞみて此
 の挙をなすものならむや、
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と勤王の先鞭を着けたることは暫く措き、其の中江・熊沢・三輪・三子の後
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を紹き、余姚学派の泰斗として一世に睥睨するもの、実に大塩中斎其の人な
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りしなり、潜庵は讃岐守と称し、久我家の大夫なり、夙に良知の学を修め、
池田草庵、山田方谷と并べ称へらる、幕府の末年勤王の説を唱へ、西郷南州、
木戸松菊、橋本景岳等と交る、事先帝の叡聞に達し、召されて顧問となり、
規書するところ多かりしと云、然らば潜庵も亦た近代に於ける、余姚学派の
継紹者なりしなり、此の人にして中斎を睹ること、此の如しとせば、中斎が
此の学派に於ける地位資望、亦た高く且つ大なるものなくむばあらず、
 
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