Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.4.24

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その24

国府犀東(1873-1950)

(偉人史叢 8)裳華書房  1896

◇禁転載◇

洗心洞の学風(1)

管理人註















































春日潜庵
中斎を推
す

  春日潜庵中斎を推す○済々たる多士門に集る○堯舜事功孔孟学○王陽明   を祭る○功業皆出於良知○死地に入つて蘇息す○中斎の学説○洗心洞   剳記○哲理的研究の半面に於ける五大綱要○大虚は理想なり○陽明の体   用論○良知及び良知的発用流行○百尺竿頭一歩を進む○虚の一字は最後   の断案なり○四書六経に於ける虚の字の適用○空間の観念ありて時間の   観念なし○一家の哲学者○比較推論法○論理家○積極的方法○消極的方   法○積極的諦観法体認法大虚の本体質相生死なし○消極的諦観法体認法   ○知行合一○実行的研究方面に於ける五大綱要○哲理の観念と事業の観   念○両半面の調和合一○文学を排責す○平八は文学者にあらず○史論を   卑しむ○洗心洞の教育法○洗心洞塾内法律○規定に関する法理的観察   ○道徳上の主権者○洗心洞風紀振粛律○学名学則及び読書々目○孔孟学   を学名となす○孝の一字を以つて学則の主となす○孝経○易経○伝習録   ○問学工夫の方針○学風の特色○洗心洞の著作 春日潜庵居常大塩中斎を称しして曰ひけるは、   ● ● ● ●   ● ● ● ●   ● ● ● ● ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  中江藤樹・熊沢蕃山・三輪執斎三子の後、独り此の老あるのみ、世の人概  ね成敗の迹につきて論し呼びて乱臣賊子となしぬ、悲むべきなり、此の老  の兵を挙げしは、勤王の先鞭を着けたるものなれども、幕府なほ盛なるの  日にありしをもて、人皆悟らさるなり、此の老争で功名富貴をのぞみて此  の挙をなすものならむや、                     ○ ○ ○ ○   ○ ○  ○ ○   ○ ○ ○ ○ と勤王の先鞭を着けたることは暫く措き、其の中江・熊沢・三輪・三子の後 ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ を紹き、余姚学派の泰斗として一世に睥睨するもの、実に大塩中斎其の人な ○ ○ ○ ○ りしなり、潜庵は讃岐守と称し、久我家の大夫なり、夙に良知の学を修め、 池田草庵、山田方谷と并べ称へらる、幕府の末年勤王の説を唱へ、西郷南州、 木戸松菊、橋本景岳等と交る、事先帝の叡聞に達し、召されて顧問となり、 規書するところ多かりしと云、然らば潜庵も亦た近代に於ける、余姚学派の 継紹者なりしなり、此の人にして中斎を睹ること、此の如しとせば、中斎が 此の学派に於ける地位資望、亦た高く且つ大なるものなくむばあらず、

幸田成友
『大塩平八郎』 
その172
































































睹(み)る


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